青々とした桜の下に佇む黒い影。その艶やかで立派な毛並みは、紛れもなくあの猫だった。



「……あ、なたっ!ごほごほっ!」



慌てて身体を起こすと、咳が私の邪魔をする。


けれどじっと此方を見るその黒い眼が私を呼んでいるような気がして。


私はありったけの力を籠めて手足を動かした。


力の入らない足でよろけながら縁側を降り、引っ掛かって履けなかった草履はもう履かずに、桜の陰へと駆け寄った。


ごほごほと噎せ、目の前で膝を折った私にも、その黒猫は動じることなく首をもたげて私を見つめる。


それは丸い、とても綺麗な眼だった。





「……来て、」


くれたんですね。



掠れた声は、最後まで続かなかった。


震える指をその子に伸ばせば、掌を染める赤に気付いて手が止まる。


綺麗な体。
漆黒とも言えるその美しい黒を、こんな穢れた血で汚したくはなかった。


なのに……



「っ」



その子は握った拳をするりと抜けて、甘えるように膝に頭を擦ってくる。


何日も何日も、ずっと姿を見せなかった癖に。


私が構って欲しい時には来てくれなかった癖に。


そんなこと、何一つ気にしていない様子ですり寄って来る姿はやっぱりあいつに似ていて。


どうしても、憎めない。



会いたかった。
来てくれた。


それだけで、嬉しかった。


満足だった。



だって私はもう淋しくなんて、ない。








目が霞むのはきっと、泣いているから。


ぼやける視界に映る黒猫は、もう、逃げなかった。


ざらりとした独特な感触が、私の頬を舐める。


にゃーと甘えた声が、どこか遠くに聞こえた。