秋きぬと目にはさやかに見えねども
  風の音にぞおどろかれぬる
   ―秋が訪れたということを 
    目ではっきり知ることはできないが
     風の音に気づかされた―

文月(旧暦七月)。
こよみの上では秋だったが、
京の都では暑さの厳しい日が続いていた。
それでも夜になると、時折心地よい風が吹きぬけてゆく。
風は確かに秋の訪れを告げていた。

若き中将、藤原善成(ふじわらのよしなり)が都の三条にある屋敷の西の対(西の棟)を通りかかったのは、そんな文月の早朝であった。
薄い紫の指貫(さしぬき)に、薄い黄色の狩衣(かりぎぬ)を身に着けている。
朝靄の中を歩いてきたためか衣はしっとりとしていて、それをゆったりと着くずして歩いているのだった。
髪の毛は少しだけ乱れて、烏帽子(えぼし)に押しこむようにしているのも、それはそれでサマになる。

扇で顔を少し隠すようにしながら、
あくびをかみ殺しているところを見ると、
どうやら昨晩は、あまり寝ずに明かしてしまったらしい。
中将も当時の貴族たちの例にもれず、お相手の女性の屋敷からの帰り道なのであった。
気楽な姿からすると、秘密の恋の相手のもとへ、お忍びで出かけたものだろうか。