上野の美術館は、やはり土日ということもあってそこそこに人で乱れていた。
出入口に掲げられていた看板を見るに、今月はフランスの美術館収蔵品を展示しているらしい。

さっさと美術館を巡って帰ろう。
そうすればこの意味のわからない「実地検証」もある程度叶えたことになる!

そう一人心に決め、紗江は意気揚々とチケット売り場にたどり着いた。


しかし

「あ、お嬢さんはいいよ」

入場券を買おうとして、飯村にあっさりと拒否された。


「わざわざ僕に付き合ってくれてるんだから。今日の費用は出さなくていい」

「いえ、でも!」

「おじさんに甘えときなさいって。大人二人分お願い」

「かしこまりました、2100円になります」


飯村は受付の女性にも笑顔を作り、チケットを受け取った。
もう一枚は紗江の手へ。


「はい、お嬢さんの分ね」

「…ありがとうございます」


自分とは違う、骨骨しい手からチケットは渡された。
少し肉付きのいいマスターのそれとも違う、ある意味男の人らしい手だった。


「…………」


ここで初めて紗江は、胸にどこか突っかかるような感触を覚える。

それは違和感ではなく彼への緊張感であったのだが
その緊張感すらも、どこから生まれたのか彼女には分からなかった。


目の前の飯村は、その微妙な変化にもちろん気付かない。

考えてみれば、これは実に奇妙な「デート」だ。
店の常連客とはいえ、そうほとんど話したことのない男性と二人で都内に出かける、なんて。


本当に良かったのだろうか?

自分の危機意識は低すぎたんじゃないだろうか?


今更になって、様々な不安が芽を出し始める。


もしホテル街なんかに連れ込まれたら?
そうでなくても、変に馴れ馴れしくなってこれからストーカーみたくなったら?


「……」

「ん?どうしたの、行かないのかい」



しかしやっぱり目の前の男をどう見ても、悪人には見えなかった。



中途半端に軽くて、中途半端に紳士的だからだろうか。

しかしだからといって彼が安全だと思い込む理由も、ない。
とはいえそう思い込む自信も、やはりない。


笑って手招きする飯村のもとへ、紗江は足を踏み出した。

考え始めた不安をそのまま放置するように。