安政七年(1860) 3月 -

山南はある道場の前にいた

『試衛館…近藤勇…』

山南は小野派一刀流免許皆伝
現在は北辰一刀流の門人である

剣の腕には自信があった
特に名のある道場以外はさほど気にはならなかった

しかし天然理心流という、実戦向きの剣術を教えているという道場があると、ある茶屋で耳にしてから、妙に引っ掛かっていた

調べれば、天然理心流は居合術や柔術などの古武道を含む流派であり、試衛館は剣術道場ということであった

泰平の世が長く続き、戦のことも知らない現在の世で、何故実戦向きなのか

黒船来航より、平穏な日常が壊され騒がしくなった日本

攘夷が叫ばれ始め、血気盛んな者も少なくない

実戦向きの剣術であるこの試衛館で学び、攘夷を実行する人間が出れば、この道場が日本を混乱させるひとつの原因ともなる可能性を山南は少なからず考えていた