院政(いんせい)
在位中の天皇の父または祖父である上皇(じょうこう)が、子または孫である天皇に代わって政務を直接行なう政治形態。
上皇は「院」と呼ばれたので、その政治形態は院政と呼ばれる。

※上皇は出家すると、法皇(ほうおう)と呼ばれるようになる。

白河法皇(しらかわほうおう)の存命中にこのシステムは確立され、その孫の鳥羽院、ひ孫の後白河院などが継承していく。




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北面武士(ほくめんのぶし)
11世紀末に、白河法皇が設立。
法皇の身辺警護、寺社の強訴を防ぐのが主な任務。
白河院の御所の北側に仕えていたため、こう呼ばれるようになった。




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白河法皇(しらかわほうおう)
天喜元年6月19日(1053年7月7日)~大治4年7月7日(1129年7月24日)
第72代天皇。
藤原摂関家と姻戚関係の薄い生まれゆえ、治世中からあまり摂関家の影響を受けずに政治を行なう。
譲位後、幼い子や孫(鳥羽天皇)を即位させ、後見するという名目で上皇として実権を握る。
出家後も法皇として朝廷に君臨し、半世紀以上にもわたって権力を掌握し続けた。




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藤原摂関家(ふじわらせっかんけ)
藤原氏の嫡流筋。
かつて権力を握っていた藤原道長の子孫たちが、この時代においても藤原家の本家として分家筋を圧倒しており、摂政・関白などの要職を独占していた。
「摂」政・「関」白を独占する家柄なので、「摂関家」と称される。