Y先生が主治医になり、
じっくり診てもらえると評判だった。

Y先生は、
この大学病院のお医者様のタマゴたちの講師でもあって、
お母さんは、
良い先生と、喜んでいた。

私は、肩書きよりも、
診察に待たされる時間が、
退屈だった。

いつだったか、
一人で結果を聞きに行った時だから、高校生だったかもしれない。
脳波検査を
病院では満杯だった時に、
大学病院指定のクリニックで取りに行って、
蛇腹折りの脳波を記録した用紙を
受付で渡さずに、
先生に直接渡したら、
先生は不機嫌になり、
受付に出して欲しかったと言って、

いったん診察室を出されて、
すぐには呼ばれなかった!!

再び呼ばれて、
脳波の検査は、
こんなに記録されていて、
チェックに時間かかるから、
診察時間短縮のために、
看護師さんに、
怪しい波形をあらかじめ覚えてもらって、
印を付けてもらっていたのだという!?

1から見る羽目になったから、
余計時間をかけてしまったと、
嫌みを言われ、
私は、慇懃無礼な先生が、
良い先生には思えなかった。

先生は、母が同い年の有名大学卒業というので、
患者の私とは、
態度を変えているのを知っていた。

なんとなく、小さい頃から、
そんな感じを読み取っていたかもしれない。

私は、Y先生が、あまり好きではなかった。

長年お世話になったけれど……。

それから小学校の時に、
Y先生の診察で、
私の起きた発作の様子を
上手く話すことは出来なかった。

私は、元々口下手だ。

人と話すことは、
避けたいぐらい。

元々そうだから、
別に知恵が遅れているのではないのかも!?

でも、先生には、
知恵が遅れているように見えたかもしれない。

今でも発作の事を思い出すと、
倒れそうな気分になるが、
単なる気のせいかもしれない。

あの頃の頭の重さは、
飲んでいた薬を変えたら、
徐々に無くなっていた。

私の成長なのか、
薬のせいか、
分からないけど。

中学になってから、
薬を変えたのだ。

小学校時代の薬は、
子どもに影響が有るというリスクがあるのだそうで、
女性は中学になる頃から、リスクの少ない薬に切り替えるのだという。

子ども!?

当時の私には、
遠い世界に思えた。