さらに厳しい話をしておこう。

なぜ、この『コモン・センス』が重要なのか?

良く、携帯小説界を揶揄(やゆ)する者の中に、作品の質以外に読者の読解力について言及する者がいる。

しかしそれがなんだというのだろうか?

端的にいってしまえば、


『携帯小説はこういう話が好きな読者が集まっている“だけのこと”』


だ。

後は、それを踏まえた上で“読みやすい構成”“興味がありそうな話題”をオリジナリティに富んだ作品を提供すれば良いだけのこと。

自分の作品が受け入れられなかったからその世界そのものを批判するのは“自らの力のなさを暴露している”ことに他ならない。

別のいいかたをしよう。

例えば。

青年向けの雑誌に少女向けの話を載せて、はたしてそれが受け入れられるだろうか?

ないだろう?

つまりはそういうことだ。

自分が挑戦しようとしている世界がどのような『センス』をもっているのか、それをしっかりと把握すること。

それは作家として“第一の作業”だ。

これをしないくせに批判ばかりして愚痴をこぼすのはフランス料理店に入って“おでん”が置いていないと騒ぐのと同じ。

それを若い作家諸君にはくれぐれもこころに留めておいて欲しい。

『コモン・センス』を把握することは、作家として当たり前のことなのだと。