時計を見ると22時を少しまわったところだ。

これから会社を出て、駅へ向かい、家にたどり着いたら
23時を30分くらい過ぎたくらいだろうか…

風呂と食事を無言で、なんの感情もなく終わらせ
ベッドに入る。

まだ寝足りないと思っていても
朝はあっという間にやってくる

一杯のコーヒーで重い体を奮い立たせ
また会社へと向かう。
今週末は休めるだろうか?



大森和也は今年でちょうど40歳。
大手損害保険会社で現在、営業所長を務めている。

15人ほどの社員の上司とはいえ、組織としては末端に位置する営業所。
日中は取引先を忙しくまわり、夜遅くまで書類整理や報告に追われる日々を過ごしていた。

東京都内にある駅の近くの8階建オフィスビルの3階。
学校の教室くらいの広さのオフィスで、
その日も21時を過ぎて、社員の半分くらいが残業していた。
PCのキーボードを叩く音だけがカチャカチャと響いている

少し休憩しようと考え、大森は事務フロアを出た。

エレベータの脇にあるパーテーションでしきられた休憩スペースで、
コーヒーを買った彼は、それに口をつけながらぼんやりと考えていた。

全国の支店や営業所を4~5年周期で転勤を繰り返している大森は
今年4月に、久しぶりに首都圏での勤務となった。

もともと東京の大学を出て、今の会社に就職した彼だったがこの12年間は
神戸や京都府内といった関西での勤務が続いていた。

東京への転勤辞令を受けた大森は、すぐに学生時代からの旧友である坂崎に電話した。
奈津美のアルバイト先にいた東西商事の坂崎義男である。
坂崎とは中学からの付き合いで一番の友人だ。

「坂崎、今度4月に東京に戻れることになったから、そうしたら久しぶりに飲みに行こう」

「そうか。お前、しばらくの間ずっと関西だったもんな。楽しみにしとくよ」

「とりあえず、着任して仕事が落ち着いたら、また電話するから」

「ああ!待ってるよ」

そんな会話を交わしていたのに、多忙な毎日に忙殺されているうちに半年が過ぎても、
まだ旧知の友人との再会は実現していない。

最近の損害保険業界再編で、彼の会社も合併をしたばかり。
システムの調整や、取引をしている自動車整備工場やディーラーとの引継ぎ調整などの業務に追われ、とても「友人と会って、ゆっくり酒を飲む」という余裕が彼にはなかった。

それに坂崎は千葉に一軒家を購入して、そこで家族と暮らしている。
だから、いまだ独身の大森には
家族持ちの坂崎に対して誘いの電話をすることに遠慮を感じてしまって、そのことも坂崎に連絡をしていない理由であった。

タバコの排煙用空気清浄機が動く音がウィーンと響く
そこに設置された自動販売機で買ったブラックコーヒーからは
暖かな湯気が上がっている。
それを、無言で眺めながら、大森は一人思いにふけっていた。

大学卒業まで、ほとんどいつも一緒につるんでいた坂崎が
今では高校生になる娘の父親だというのに、
今だに大森は一人だった。