ハロー、マイファーストレディ!


追ってきたマスコミらしい車を振り切って、いつものハイヤーで都内へと舞い戻る。今日は一段と大きく左右に揺れて、思わず苦笑を漏らした。

「今日は一段とスリリングだな。」
「ええ、どうしても一大事には血が騒ぐ質でして。」
「やっぱり、刑事には向いてなかったんじゃないか?」
「そうですね。冷静さを欠いてよく上司に叱られましたから。今は、自分にはこれが天職だと思ってます。」

“天職”

その言葉に思わずひとり頷く。
追っ手を振り切るその華麗なドライビングテクニックは、まさにそう称するに相応しい。

「実は、追う側の気持ちが分かれば、逃げるのは容易いんです。そういう意味で、過去の経験は無駄では無かったと思います。」

彼なりに迷い悩んでようやくたどり着いた答えなのだろう。人生に起きる全てのことは、今の自分に繋がっているのだ。

母に捨てられ、政治家を志した。父の所業に辟易して、契約結婚を画策した。全てが、今日の高柳征太郎を形作っている。一つ何かが狂っていたら、まるで違う自分になっていたかもしれない。


例えば、真依子に出会わなければ。
今日の俺は、こんなにも強く気高く居られただろうか。


「まあ、家では嫁に刑事の妻になったつもりだったと、未だに詐欺師呼ばわりされてますが。」

物思いに耽りそうになる俺を、運転席からの呟きが現実に引き留めた。思わず、ふふっと小さな笑いが漏れる。

「奇遇だな。俺もだよ。ちょっと愛想笑いしたくらいで、詐欺師呼ばわりだ。」
「本当の詐欺師を知らないから、言えるんですよ。奴らの嘘は、人を不幸にしかしませんからね。」

運転席の男が、急に昔の刑事の顔に戻った。過去とは、いつまでも自分の中から消せないものなのだ。

「着きました。このまま、こちらでお待ちしております。」

車はホテルの裏手に着けられた。
ここには、従業員用の出入口がある。
俺は、開かれたドアから外に出ながら答える。

「いや、長くなるかもしれない。帰りはまた連絡する。」
「そういうわけには参りません。今日は大川さんに頼まれていますから。」
「大川は、何て?」
「“坊ちゃん”の身に危険があれば、遠慮無く踏み込めと。先生に帰れと言われても、帰れません。そのための手当は、すでに頂いておりますから。長引くようなら、様子を伺いに参ります。」

またしても、刑事の顔を向ける男に、俺は小さく溜息をついて頷いた。
過保護な秘書を振り切るのは、マスコミ以上に難しい。

「お手柔らかに頼むよ。」
「自分の出番がないことを祈っております。」

ハイヤーから降りて、ゆっくりと頭を下げて見送る男に、俺は軽く手を上げてから従業員用のドアに手を掛けた。