蜀漢2代目皇帝が即位した。
劉備の遺言どうりに孔明は全力で富国策を行う。

まず憎き孫権と同盟を結び南部の異民族の平定に専念した。
鉄や馬などの豊富な資源を得て5年間、兵力強化を図り
ついに天命達成の時を迎える。

「臣亭申。先帝業を創めていまだ半ばならざるに、
中道にして崩御せらる。今天下三分にして益州
疲弊せり。是誠に危急存亡の時なり。云々」

孔明は20万の大軍を率いて漢中にはいった。

この時魏の指揮官司馬懿は即座に、
寝返りそうな最前線の将軍孟達を
先制攻撃して孔明の出鼻をくじいた。

ここで孔明は作戦を変更し一番西方の
侵攻ルートを選ぶ。
先鋒は愛弟子馬謖。

馬謖の任務は要衝街亭を制圧して
魏の軍勢を撃退することだった。

が、しかし魏の先陣は用兵わずか数千。
馬謖はこれを殲滅せんと功を焦って、

孔明の命に背き副官王兵の言うのも聞かず、
主力を山上に布陣した。

魏の用兵軍はその布陣を見てしめたと思った。
すぐに山麓を包囲して水を断つ。

馬謖軍は苦し紛れに突撃して
粉砕されてしまう。

馬謖はかろうじて王平に助け出されるが、
この敗戦によって孔明は作戦を中止、
撤退を余儀なくされた。

泣いて馬謖を切る。
孔明は馬謖の処刑に踏み切った。