慶應元年 十一月四日


曇りのち雪



本日、近藤局長らが長州訊問使の永井尚志殿に同行する形で安芸(広島)に発たれた。


長州の動向を探る為である。


それに伴うは伊東参謀、武田助勤、尾形助勤の三名。


局長は今回新選組隊士と気付かれぬよう名を変えての旅となる。


彼方に赴くと言うのはそれだけ危険な旅なのだ。


無事何事もなくお戻りになられることを願う。


そしてその間、無論副長がその代理を勤められる。


大幹部が揃って屯所を空けられる上、助勤二人も抜けるのだ、副長の負担は計り知れない。


少しでもお役に立てるよう俺も頑張らなければと思う。


屯所の移転に伴い記し始めた取調日記の方もそろそろ頁が少なくなってきた。


幕府に習って取り入れた佛蘭西式調練の号令の記述は、写し直せば他の連中の役に立つやも知れぬ。


早速明日にでも纏めて副長に渡すことにする。


しかし此度の局長らの旅。何故篠原は同行しなかったのだろうか。


布団ごと近付いてくる彼奴に夜も気が休まらぬ。


伊東参謀はよくまぁあれを側に置いて平気でいられるものだと心から疑問だ。


賢しいようで疎いのであろうか。