もうじき夕餉の仕度が始まるであろう時刻。
濃紺に染め上げられた麻の地に書かれた白い文字が、生ぬるい風に僅かに揺れている。
昨日、篠塚と言う薬売りとして一泊したそこの間取りは勿論把握済み。
人手が少ないことも、な。
『池田屋』
そう書かれた暖簾をくぐり、俺は声を上げた。
「すんまへーん、藤田屋の女将に手伝うよう言われてきたんですけどー」
元々父の知り合いである藤田屋は、こういう時に名を借りられるのが有り難い。
すると奥からトトトと此処の女将が駆けてくる。
「あら、藤田屋さんとこから?」
「はい。これ紹介状です」
俺が書いたんやけど。
「……ん、確かに。いやぁ助かるわぁー今日はようさん来はるんよ。急に一人辞めてもたって愚痴覚えとってくれはったんやなぁ、うふふ」
加えて藤田屋の女将は多方面に顔が広い。特に三条四条界隈では言わずと知れた人物だ。
父の人脈は侮れない。
ほなこっち、と案内してくれる女将の後に続いて中へと上がる。
ようさん、なぁ……。
ちらちらと周りに視線を送りながらその言葉に引っ掛かりを覚えていれば、女将が歩きながら僅かに振り返った。
「そや、あんた名前は?」
俺はあくまで自然に、にこりと笑みを浮かべる。
「柚季です、よろしゅうお願いします」
──そう、これが副長の仰ったこと。
いざっちゅう時の為に自然な形で中に入っとけっちゅうことや。
結髪の鬘(カツラ)に山吹の長着、薄く引いた紅に淑やかな仕草。女子らしく帯には花の根付も差してある。
うん、完璧や。


