「福山城からは、この辺りの海は見えないから」


 月姫は父の命令で、この地から半日ほどの距離にある福山城に出向き、明日からしばらく滞在しなければならなかった。


 その間この海を眺めることはできない。


 「福山城は桜の花が見事でございます。姫さまはたちまち目を奪われてしまうでしょう」


 「桜……」


 福山城の領主・福山家の殿様は代々、京の公家(貴族)の名門家から正室(正妻)を迎える。


 その輿入れ(嫁入り)の際、一行は必ず桜の苗木を持参するという。


 元来この地には寒すぎて、桜は自生していなかった。


 しかし今では、丹精を込めて育てた結果、桜はこの地に根付き。


 福山城周辺では春になると、色とりどりの桜のが咲き誇るという。


 「桜を見るのは楽しみ……ではあるけれど」


 侍女と共に、姫は岬を後にした。


 そこから歩いてさほど遠くない、見晴らしのよい山の中腹に姫の実家の城はある。


 城とは言っても、名ばかり。


 福山城の華麗さに比べれば、物見櫓(ものみやぐら)程度でしかない。


 海峡を監視する砦の役割を担った、月姫の一族。


 福山家の配下として、領土の安全を守るために、この一帯の監視役を仰せつかっていた。


 月姫も「姫」とは呼ばれているものの、姫と呼ばれる領主階級の中では最下層に属している家柄。


 この時代「蝦夷地(えぞち;現在の北海道)」と呼ばれた辺境の地で、静かで平凡な一生を送るはずだった。