福山冬雅に続いて、僧が登場した。


 正室の京の実家近くにある伝統ある寺院の、偉い僧とのこと。


 このたび冬雅に招かれて、はるばるこの蝦夷地までやって来た。


 そして冬悟の墓所の前に立ち、念仏を唱え始めた。


 周囲の人たちは冬雅が謀反の一件を水に流し、誠心誠意死者である冬雅を弔おうとしていると信じているようだ。


 (真相は、冬悟さまが化けて出てくるのを封じるためだろう)


 冬悟が切腹して以来、城下で不幸なことがあるたび、「冬悟さまの祟りだ」「怨霊だ」と領民たちが騒ぎ出すことが多々あった。


 冬悟が不運な死を余儀なくされたことは、領民たちの多くが知っている。


 冬雅がひた隠しにしても、噂が広まり始めている。


 人々は冬悟の死を惜しんでいる。


 そしてよくないことが起きる度に、それは冬悟の祟りであると決め付けられる。


 遠い昔、平安京に遷都した桓武天皇(かんむてんのう)は、不当に死に追いやった弟の怨霊に終生悩まされたという。


 (殿もきっと、同じ道を歩まれることだろう)


 冬雅の失政があるたびに、「冬悟さまが生きておられれば・・・」の声がいつまでも沸き起こる。


 (殿は苦しみから逃れられないはず)


 冬雅は領民の密やかな非難に悩まされている。


 そして何よりも、自分自身の罪悪感に。