「伊達さん伊達さん伊達さん!」
アキのハツラツとした声とは対照的に、至極嫌そうな伊達のうめき声が布団の隙間から漏れた。
「今度は何…」
「これ!」アキは包みを破った冷却シートを伊達の狭い視界に入るよう広げた。
「どうせだから、おでこに貼りましょう。ねっ?」
その満面の笑みは、伊達に一蹴された。
「……君、貼ってよ…もう起きるのが嫌なんだ」
「へっ」
さすがにそこまで面倒臭がるとは思っていなかった。
アキは、思わず舌打ちしそうだった唇を無理やり噛み締める。
まったく。子供のそれより面倒だ。
「分かりました…じゃあおでこ出して下さい」
ここだけはやたら素直に、伊達は前髪を片手でかきあげてくれた。
ようやく薬が効いてきたのか、いつも意味ありげにすがめられる切れ長の目は、どこかトロンとして妖しい。
「…伊達さん」アキがポツリと言った。
「ん」
「前髪、切った方がいいですよ。その方がきっとモテます」
「…ああ、そう…」
「もったいない。せっかく綺麗な目をしてるのに」
言って、自分の失言に自分で照れたのは他ならぬ彼女だった。
「あー、いえ、その…」
しかし伊達は少しイラついた口調でアキに言った。
「…早く貼ってくれないかな」
「す、すみません」
薄っぺらいシールを剥がし、冷却シートを汗ばんだおでこに貼る。
熱のせいでぼやけた頭に気持ちいいのか、伊達は微かに両目を瞑った。
そして、ゆっくりとまた目を開ける。
力ない視線が、アキをとらえる。
「君の手…冷たくて気持ちいいね」
「え?」
自身の前髪を押さえていた彼の手が、ふいに彼女の左手を柔らかく掴んだ。
それはまさしく、小さい子が母に甘えるようなそれだったが
咄嗟に、アキの体は固まった。
それくらいに伊達の手は大きく、骨っぽくて、そして熱のせいなのか、ひどく熱かったのだ。
考えるよりも早く、アキは自分の手を伊達から奪い返した。
「あ、ああ、そうですね、私、冷え性、なので」
今のタイミングで手を掴んでくるのは、卑怯だ。
アキは思った。
卑怯?
…何が?
彼女は、思わず口元を押さえる。マスクをしていることなんて忘れて。
観察が鋭い彼のことだから、アキの口元の変化を見るだけで気持ちに気付くかもしれない。
そこからの防衛本能だった。
今のこの表情を伊達に見られたくなかった。
彼にだけは、絶対に気付かれたくない。
「…かっ、風邪が良くなったら、取材再開します。伊達さんがしっかり治すまで待ってますから。
いいですね、しっかりですよ。完全に治るまで取材しませんからね」
布団から、ひらひらと伊達が手を振った。
まるで彼女の気持ちなんて知らない風に、飄々とした感じのままで。
「…では、失礼します」
口を押さえたままで彼女は寝室を出る。
置きっぱなしだった自分のバッグを抱え、彼の家を飛び出した。
何も考えず、エレベーターのボタンを連打した。エントランスを駆け抜けた。
それでも、自分の表情を隠すために押さえたその手は、タクシーに乗り込むまで離せなかった。
───年齢なんて一回り以上じゃんか。無理だって絶対
───長い付き合いのお前には、普通の…いや、理想の恋愛をして欲しいんだよ
『理想の恋愛』には『理想の王子様』がいて
『理想の王子様』は、いつだって『可愛い女の子』を選ぶ───。
伊達さんを好きになったって、それは変わらない事実だ。
『可愛い女の子』ではない私に、この世界が急に優しくなることは、ない。
決して無いんだ。