薔薇の香りで噎せ返る様なこの公園を、こうして二人で散歩するのは今日で何度目になるだろう。

そう考えるだけで口許が緩む。


「今年も綺麗だね」


幸せ惚けしたその笑顔に「そうだね」と返して繋いだ手に力を込めた。



出会ったのは、高校に入って間もない頃だった。

つまらない学校を抜け出してフラッと立ち寄ったこの公園の中央、大きな時計台のベンチに座って読書をしていた女の子。
沢山の赤い薔薇に囲まれて静かに本に視線を落とすその姿に、俺は自然と目を奪われていた。


『なにしてるの?』


言った瞬間に後悔した。
読書している人間に“なにしてるの?”なんて。


『……冒険の、旅に出てたの』


一瞬、目を大きくして驚いた後、彼女は小さくそう笑った。


それから俺は、その子の隣を陣取って馬鹿みたいに喋り続けた。
予期せず熱中していた読書を邪魔されたと言うのに、彼女は怒ることなく中身のない俺の話に時折相槌を打ちながら、嫌な顔ひとつ見せることなく付き合ってくれていた。



「透子、ちょっと休憩しない?」

「そうだね」


学生時代、幾度となく座ったベンチに最愛の人を導く。
毎年、春が深まるこの時期に園内を散歩はしていたけど、この場所に座るのは久しぶり。


「懐かしい」


口数が少ないのは出会った頃から変わらない。
その分、態度や表情が豊かで分かりやすいところが可愛いと思う。


「覚えてる?俺がここで告白したときのこと」

「忘れられるわけないじゃない」



『俺と、結婚してください』


始めて会ってから半年が過ぎた冬の日、雪が降るくらい冷えた空気を胸一杯に吸い込んで発した第一声がこれだった。
彼女を思って選んだおもちゃの指輪が入った小さな箱を差し出しながら。


『結婚かぁ』


困った様な彼女の声に、煩くなり響く心臓の音がスッと引いていくのが分かった。

少し考えれば、断られるのが当たり前だ。
付き合ってもいないのにいきなり高校一年のガキに結婚を迫られて。
自分に置き換えればもちろん答えは“ノー”だった。


『まずは、もっとお互いのことを知らないと、ね?』


振られると身構えた俺の手を箱ごと包んだ温かい感触。
一ヶ月前の彼女の誕生日にプレゼントした青色の手袋が視界に入った。


彼女の名前は浅尾 透子。
俺より3歳年上の大学生で、大学に進学する為に地元を出てきて知らない土地で一人暮らし。
読書が好きで、人と話すのが少し苦手。


半年で数えられるくらいしか会っていない俺が知っているその人の情報はあまりにも薄かった。


『お付き合いから、始めませんか?』



「あの時の勇くんは可愛かったなぁ」

「なんで過去形なんだよ」

「だって今は可愛いって言うより格好いいんだもん」


言った後の照れ笑いに釣られて、俺の顔まで熱くなった。


「あのさ、」


微妙な沈黙を破った俺の声に透子が視線を上げる。
高鳴る鼓動に上手く息ができない感覚は、人生で2回目だ。

あの日、『まだ勇くんが持ってて』とやんわり押し返された紺色の箱をポケットから取り出して、


「そろそろ、貰ってほしいんだけど」


やっとの思いで発した言葉が消える。


「結婚、してください」


言って、深呼吸と一緒に甘い薔薇の匂いを吸い込んだ。

箱の中身は、おもちゃの指輪。
彼女が大好きな空色のプラスチックが中心で煌めくデザインに一目惚れして買った記憶がある。


「はい」


長い長い沈黙の後、大きな目に涙を一杯に溜めたその人はそれでも嬉しそうに微笑った。


高校一年の冬、ガキなりに一生大事にしていくと確かに誓った。
それから少しは大人になった今、その気持ちは膨れ上がっていくばかり。

俺のより一回り小さい左手の薬指に10代の俺と今の俺から、覚悟の印のリングをひとつずつ。


「ありがとう」


ふたつの指輪を愛おしそうに眺めるその姿に衝動的に体が動いた。
不意を突かれて俺の腕の中に収まった透子は、耳まで真っ赤にしながらも俺の背中に腕を回した。



end.