水泳のお時間

頭の中ではさっきの出来事や、この前初めて瀬戸くんの部屋に行ったあの日、

そこで瀬戸くんと話したことや見たこと、そこで教わった事がまるで水が流れ込むように入ってきて…


気がつくと驚くくらい自然に息継ぎをしている自分がいた。


「さっきよりもだいぶ良くなってる。そろそろ手を離すよ」

「はいっ」


今もわたしの足は地面に立つことなく水中を泳いだまま、

前を歩いていた瀬戸くんの手がゆっくりと離れる。


このとき初めて何の補助もなく、自分の力だけでプールを泳いでいるという感覚に、わたしの心は震えたけれど…


…でも不思議と怖い気持ちはなかった。



わたしが必死にしがみついていた手や、わたしを支えてくれていた存在はもうない。

それでも水の中を動いて、今も泳ごうとしているわたしの体。


進むスピードは遅いけれどそれでもわたしはちゃんと水に浮いて、ここで泳いでる。


自分の力で、息をしている。


(もしかしてこれも全部瀬戸くんが…?)


教わった息の仕方を思い返すと同時に、今までの記憶もたくさん思い出してくる。

今までわたしが見てきたことや、聞いたこと、

そして瀬戸くんとの別れ際に、いつも感じていたこと。


“俺が途中で止めたのは…桐谷をこのまま、俺のモノにしてしまいたくなったから”


…正直最初は瀬戸くんが何を考えているのか分からなくて、

戸惑いを感じる事の方がきっと大きかった。


わざとわたしの心を惑わせ、いじわるを言ったと思ったら、甘い言葉を囁いて…

そしてその行き過ぎた指導が、わたしには嬉しい分…時に苦しくなる日もあった。


でもそうされてきた理由は、瀬戸くんはこうする事で水泳だけじゃなく、

わたしの心も一緒に成長することを知っていたから。


確かに瀬戸くんはいつも遠くて届かなくて、苦しいけど

だからこそ前へ進みたい、近づきたいって思った。


今まで見ていることしか出来なかったわたしが、初めて自分から変わりたいと思えた気持ち。

小野くんや、わたし自身でさえ気づけなくて、見抜けなかったこと。