水泳のお時間

「――練習はもう終わり?」


そう思って、瀬戸くんと一緒に帰る約束をしたわたしは、

急いで制服に着替えると、荷物をまとめ、女子更衣室を出る。


だけどそこで待っていたのは瀬戸くんではなく、小野くんだった。


どうして小野くんが……?


そう言いかけようとして、ふいに教室での出来事を思い出し、ハッと胸を手で押さえて沈黙するわたしに、

階段ごしで待ち伏せしていた小野くんは不敵に笑った。


「そんな警戒すんなよ。つーかいいの?これ、返してほしいんだろ?」


階段をあがって、目の前にやってきた小野くんが片手に握りしめて持っていたのは、黒いゴーグル。


その瞬間、とっさに腕を伸ばして返してもらおうとしたけれど、

そのゴーグルはわたしの身長よりも高い位置へと簡単に持っていかれてしまう。


「っ!」

「小さいなあ。俺の方が低い階段にいるのに、これでもまだ届かないんだ」


そんなわたしを、小野くんは逆に楽しんでいるようだった。


どうしようもなくなって、思わず目に涙が浮かんだわたしに、小野くんはとたんに肩をすくめる。


「つーかほんと変わってるよね桐谷さんて。たかがゴーグルに、何そんな熱くなってんの?」

「お願い、返して……っ」

「だから言ってんじゃん。返さないって。何度も言わせるなよ」


そう言って、小野くんはわざとわたしに見せつけるように、目の前でゴーグルを揺らしながら……


だけど本当は、まるでこうする事を初めから頭に入れていたみたいに、途中でピタリとその手を止めた。


「まぁ、そんなに返してほしいなら返してやってもいいよ。ただし、タダでは返さない」

「えっ……?」


小野くんの言葉に、わたしは思わず目を見開く。

そしてそのまま何も言えずにいると、小野くんはニッと笑い、こう言った。


「取り引きしよう」