神様は乗り越えられる試練しか与えない。
私の大嫌いな言葉です。

乗り越えられる試練しか与えないのであれば、今現在乗り越えられていない私は、出来て当たり前のことすらできていない弱虫、と言うことになるのでしょうか。

そもそも、その理屈でいくと、病という試練を乗り越えられず、死んでしまった妻は神様に見捨てられたのでしょうか。

それとも、死ぬのことで試練を乗り越えたとでも言うのでしょうか。

そんな理不尽なことを試練と呼ぶなど私は認めません。

神様など信じてはいませんが、もし実在するのなら、私はなんの躊躇もなく神様とやらを殺せます。

死を超越した存在だと言うのならば、何万回でも首を斬り落としてやります。
目玉を抉り出してやります。
耳を噛み千切ってやります。
歯を全部へし折ってやります。
舌を引っこ抜いてやります。
二度と偉そうな事が言えないように、永遠に苦しめてやります。

そして、顔を踏みつけながら言ってやります。
これは俺からの試練だ、乗り越えて見せてみろ、と。

神様を信じておられる方には申し訳ありませんが、それほど腹立たしい言葉です。

言葉に悪意がないことは重々承知しています。
が、何故かこの言葉にだけは不快感を覚えてしまいます。

事実、この言葉は悲しみの淵にある人間にかけてはいけない言葉だとする研究結果もあるようです。

実際のところ、私は無神論者なので言うほど気にはしていません。
納得はしませんが、励ましてくださるご好意そのものは、真摯に受け止めさせていただいております。