ある日、院長に呼ばれ、院長室にはいった。久しぶりだった。
「お久しぶりです。」
「あー。いい感じになってきた。
長く日がたったな。いつか君に伝えたこと。
幼少期の事件で刻まれた重たい憎しみ。
描かれた暗い絵。
今はもうないようだな。

でも今は愛が怖い。愛が憎しみを生むって思っている。
母への愛がなければ、あんなに犯人を憎まなかった。
まだまだあるはずだ。君にはね。
愛が憎しみを生み、憎しみが憎しみを生み、何度も繰り返す。
その根底にあるのはいつも、自分が抱いた愛。
それが怖いんだよな。

でも今耐えている。

もちつき大会のおばちゃんや、直樹君の言葉に支えられているのかな。」
図星をつかれ心に浸みる。

「君にあと必要なのは、今恐れている愛から逃げずにどんなにうまくいかなくても、
目をそらさないこと。愛を感じない自分へと二度と逃げないこと。
その忍耐力だけだ。今はまだ絶えられている。そのまま進みなさい。
戸惑いと一緒に進みなさい。
あとは時間だけだよな。でもそう長く必要とは思わない」

「えっ!」
僕は、ここにきて初めて見た。社会にでるわずかな香りと可能性。
かなり動揺した。
いつ頃出るなんて想像させられたのは初めてだった。

「本日から上級生に進級させます。頑張れよ。次は社会にでる恐怖ってものが
襲ってくるからな。信じているよ」

そう言って部屋から出て行った。
そして僕は、戸惑いながら寮に戻る。

自分がいる社会が見えた。ドキドキする。
嬉しいのか怖いのかわからない。
いや、怖い。

僕は、
愛が憎しみに変わる恐怖と、
こんな自分が社会に出る日が、そう遠くはない現実、
その恐怖と、戸惑いを感じながら過ごしていく。

ここにいる院生達より当然、ダントツに僕が古かぶ。
誰よりも圧倒的にここにいる時間が長い。

当然生活にも慣れ、作業も慣れている。
さらに上級生に進級したことにより、やりがいのある仕事をさせられたり、
重要な役割をに就いた。
責任感もってこなしていく毎日。充実していた。

生活にも慣れ、責任感をや、やりがいまでも感じて過ごしている。
さらにいつ頃出られるか想像もできる。
何の苦痛もない。
毎日毎日、大音量のチャイムが鳴るたびに、始まる一日に恐怖を感じていたのに
今は何も感じない。やる気がめらめらとこみ上がってくる。
自由な社会にいた時には、これっぽっちも感じなかったやる気や責任感が
今感じている。人間って不思議なものだ。

ただあるのは、社会にでる恐怖。たまらない恐怖。
こんな状態になるなんて思ってもいなかった。
院長が言った通りだ。

僕は、
ここで今感じているやる気や責任感が、自由な社会であるはずの場所で、感じられず廃人になってたのだから。出たいけど。出ない方がいいなんて考えてしまう。

この閉鎖された世界だからこそこんな日々を過ごせている。
初めてこの地獄を肯定した。

でもやはり人間。欲望はある。自由になりたい。

でも恐怖は変わらず感じ続ける。

僕、本当に変わったのか。
うわべだけしかかわっていないのでは?
自由な海に出た瞬間に、
長く長く過ごしたここでの体験が消えてなくなるのでは?
本当に大丈夫なの?

僕は、
誰かに聞きたい気分だった。

テレビの時間でニュースを見ると、何かの事件を起こし逮捕された報道が流れる。
ぞっとする。今は考えられないが、社会にでたらどうなるんだ。
自由な海にでたらどうなるんだ。テレビの向こうで逮捕されている者が、全く異世界の人間に見えるが、確かにあの社会で自分は当たり前のように同じことをした。
本当に僕は変わったのか。
僕に、
絶えず絶えず恐怖が襲ってくる。

ある日、農作業を終え、いつもの場所とは少しずれた場所に腰をかけようとしたが
小さな花があり、よけて隣に座った。

何年も毎日、ここで座って青い空を眺めていたのに、
いつも座っている場所からすぐそばなのに
全く気付かなかった名もない一輪の花。
いつも空ばかり見ていたから気づかなかった。
きれいだ。

僕も生まれ変わったら名もない一輪の花になりたい。
誰にも気づかれずそっと咲き誇る。
やがて命を終えると、静かに誰にも気づかれず土にかえる。
誰とも関わらず最後まで咲き誇るから、最後まで美しい。

この花みたいに誰にも気づかれず誰にも影響されず
社会の闇に汚されず、葛藤や戸惑い、悲しみや憎しみを感じず
ずっとこの花のように一人美しく咲き誇っていたい。

僕は、
そう思いながらじーと眺めていた。

でも社会の闇が自分にむかった大きな大きな波が少しずつ、近づいてくる。よせてくる。
その波に乗って闇の社会、自由な社会に飛び出す日が来る。

自然と身がしまるが、恐怖感は消えない。

時が立ち。ついにその日が来た。