「悪いことはいわない。医者になるのはあきらめなよ。君には君に似合った将来があると思うな」
「一言いいかしら?」

 琴子が何も言い出さないうちに、思わず美奈子は口を挟んでいた。

「あなたの都合に合わせて琴子が進路変更をしなきゃいけない理由が、どこにあるの?」

 梅宮は、今度ははっきりと、邪魔そうに美奈子を睨んだ。

「琴子ちゃんが医者を目指そうが、本当はおれはどうでもいいんだ。どのみち負けるつもりはないから。親父がもう決めてるって言ってるんだから、いくら琴子ちゃんが努力してみたって徒労に終わるだけだと思うな。だからこれは親切な忠告っていうやつ。素直に聞いとけば?」

 無言で少年を睨み返しながら、美奈子は乱暴に立ちあがった。スチールの椅子が床を引きずる音が、静かな休憩室に大きく響く。

「琴、帰ろ」

 琴子の腕をつかんで引っ張ると、琴子は物言いたげに美奈子を見上げた。
 美奈子は自分のと琴子のと2人分の荷物をさっさと抱えて、椅子をテーブルにしまう。
 琴子は一旦腰を浮かせかけて、再び椅子に腰を下ろし、梅宮を見上げた。

「あの、梅宮さん、あたし……」

 一度口ごもり、美奈子にせっかちに服の袖を引っ張られて、早口になる。

「あたしも医者になるのをあきらめること、できないんです。だってあたしにはそれしかないから。他には──何もないから」

 語尾が震えていて、琴子の動揺が伝わってくる。

「あなたのほうが医者に向いてるとしても、適役でも、あたしはあたしなりに頑張ってなんとかパパに認めてもらうしかないから……だからあたし……」
「そう」

 再び口ごもる琴子の言葉をさえぎるように、少年は口を開く。

「じゃ、せいぜい頑張ってみてよ。無駄だと思うけどね」
「もう行こうよ、琴」

 もう一度美奈子が琴子の服の袖を引くと、今度は琴子は素直に立ち上がり、美奈子に引っ張られるまま、素直にその場をあとにした。
 一度振りかえって見ると、少年は椅子を立ち上がり、口元にせせら笑いを浮かべて2人を見送っていた。