澪汰は私を殴りつけたり、叩きつけたりした後、こうして何度も謝ることが多々あった。

 しかし、なにもしていないのにこんな状態になるのは初めてだ。
澪汰の涙を見たことも初めて。

 こんなことをされたら、ますます澪汰の事がわからなくなる。
完璧に嫌いになりたいのに、変な期待をしてしまう。

 私達はしばらくの間そうしていた。
私も澪汰も何も発さなくなった。

 再び訪れた無言。
かちこちと時計が時を刻んでいる。

「澪汰、もう仕事行かなきゃ。」

「うん。」
 
 ゆるゆると、澪汰の手から解放される。
背中にひんやりとした冷たさが戻ってきた。

 この状況で仕事を優先する私は薄情なのかもしれない。
 
 でも、これ以上一緒にいてはいけない気がした。

 私はかちゃかちゃと鳴る食器をシンクに運んで、澪汰に預かられていたスマホを鞄に入れた。

 忘れものが無いか鞄の中身を確認して、玄関に向かう。

「じゃあいってくる。」

「うん。行ってらっしゃい。」

 ここからでは顔は見えないが、澪汰のもの寂しげな声色にズキンと心が痛んだ。

バタン

 外に出ると、冷たい風が心地よく肌を滑った。
冬の香りがツンと鼻を刺す。
空にはゆらゆらと月明かりが揺れている。

 私はめいっぱい深呼吸をして、ボロい階段を降りた。
足をつく度きしきしと悲鳴を上げる。

 外に出られるという喜びを体全体で感じながら、私はいつもの慣れたルートで仕事場へ向かった。