【音々side】

 ――5月28日、土曜日。

 私達は封筒に書かれていた住所を頼りに、軍士さんの家を探した。

 軍士さんの家は広島市東区の閑静な団地にあった。1945年8月、鉄道寮も現在の東区にあった。

 突然訪れた私達を、軍士さんの家族は温かく迎えてくれた。私達の様子を心配した母が、事前に電話連絡してくれていたからだ。

「いらっしゃい。まあ大きくなられて。守田さんがお元気な時に、子供の頃の写真を見せて下さったことがあるのよ」

「こんにちは。そうなんですか……。今日は突然訪ねて申し訳ありません。これ……母からです」

 母に託された手土産を娘さんに渡す。

「まあ、お気遣いありがとうございます。どうぞお上がり下さい。父も87歳になり、最近はベッドで寝ていることが多くなりました。守田さんが亡くなられたと聞き気分が伏せっていることも多く、心配していたところです。今日はずっと起きて待っているのよ。守田さんのお孫さんに逢うことを、とても楽しみにしているの」

 娘さんは1階の和室に私達を通した。部屋に入ると軍士さんは介護ベッドの上で上半身を起こし座っていた。あれから71年、私達の目の前で、白髪になった軍士さんが当時と同じ優しい眼差しで微笑んでいた。

「最近は耳も遠く、痴呆の症状も出始め、昔話ばかりしているの。意味不明なことをお話するかも知れませんが、お気になさらないで下さいね」

「……はい」

 痴呆と聞き、お祖父ちゃんのことを思い出す。お祖父ちゃんも入院中、痴呆の症状があったと母から聞いた。

「ようおいで下さいました。山本軍士でございます。この度はご愁傷様でございました。寂しゅうなりましたね。わしも寂しゅうてなりません」

 軍士さんは震える指で涙を拭った。

「……軍士さん、お元気で本当に……よかった」

 桃弥が軍士さんの手を握る。
 軍士さんは突然手を握られ、驚いたように目を見開いた。

「あなたが守田さんのお孫さんですかいのう?どこかでお逢いしましたか?」

「……いえ、守田紘一さんの孫はねねです。俺は大崎時正の兄、大崎時宗の孫で、峰岸桃弥と申します」

「……時正のご親戚ですか?峰岸桃弥……はて、どこかで聞いたような……」

 軍士さんは俺達をまじまじと見つめ首を傾げた。

「今日は大崎時正のことをお聞きしたくて参りました」

「時正のことですか?もう71年も前の話じゃ。8月6日のことはとうに忘れてしまいました。思い出すのは仲間との楽しい思い出ばかりじゃ」