あの日、あの時、君といたモノクロームの夏。

「赤ちゃんの名前……考えられるかな……」

「体調がいい時でいいから。赤ちゃんのこと考えていたら、気晴らしになるでしょう」

「そうね。綾、毎日ありがとう。社宅にも行ってくれてるんでしょう。もし綾に赤ちゃんがいたら、こうして毎日病院に来てもらえなかったね」

「……うん」

「美紘の赤ちゃんの名前、いくつか考えてみるよ」

「……うん」

 祖母はベッドの横にある大きな窓に視線を向けた。病室からは広島駅北口が見えた。人の往来が蟻の行列のようにも見える。その人波を見つめながら、祖母はポツリと呟いた。

「毎日毎日……みんな忙しそうね。ここから駅を見ていると、みんなが羨ましくなるんよ。お母さんもいつか家に帰れるかね……」

「帰れるよ。何言ってるの」

 外の世界と隔離された病室。すぐそこに自由な世界が広がっているのに、硝子で遮断され外の空気に触れることもできない。外出することも出来ず、点滴や輸血の管を見つめながら抗がん剤の副作用に耐え、毎日ベッドの上で過ごしている祖母。

「瑠美はどう?彼とうまくいってるのかな……。まだ19歳だから、瑠美のことが心配でね。美紘や綾はもう結婚しているから安心だけど、瑠美に家事をさせて、苦労させてると思うと……可哀想で……」

「大丈夫だよ。瑠美はああ見えてしっかりしてるし、私も音々さんもいるから……」

 祖母は私達に視線を向け、力なく微笑んだ。
 入院して1か月、食事を殆ど口にしていないせいか頬は痩け顔色も悪い。

「長生きしなくてもいいと思っていたけど、あと5年……せめてあと5年……生きたいよ」

「なに言ってるの。治療すれば5年でも10年でも生きられるに決まってるでしょう」

 祖母の余命を知っているのに、母は気弱になっている祖母を叱りつけ、「大丈夫よ」と励まし笑顔を向ける。

「綾……お祖父ちゃんのことが気がかりでね。あと5年生きられたら、お祖父ちゃんを看取ることが出来る。5年あれば瑠美も結婚するだろうし、綾にもまた赤ちゃんが出来るでしょう。美紘も初産で不安だと思うんよ。産後をみてやれないから……気掛かりで……。みんなに申し訳なくて……」

「今は仕方ないよ。野上のお母さんが産後はみて下さるみたいだし、美紘姉ちゃんの赤ちゃんが産まれたら私が写真撮ってくるからね。元気になれば、赤ちゃんにいくらでも逢えるよ」

「そうじゃね……」

「わたし……ちょっとトイレに行ってくるね……」

 母は祖母に笑顔を向け、すぐさま背を向けた。

 その瞳は涙で潤んでいた。