「……はい」

 家族の視線を感じながら、私達は祖父の後に続く。
 6畳の和室に入ると、祖父は襖を閉め礼服の上着を脱ぎネクタイを緩めた。

 祖父は私が綾の娘で、孫であることは知らない。

 桃弥君の従兄弟と嘘をついたが、1945年のことを覚えているのなら、私達が従妹ではなく友達だとわかっているはず。

「今日は疲れたわい。お2人も疲れたじゃろう。けどいい結婚式じゃった」

「……はい」

 あれから36年、祖父も歳を取り外見は変化し、声はあの頃よりも落ち着いている。

「まさか綾の結婚式でお2人に逢えるとは思わんかった。ずっと……あれは夢だと思っとりました。戦時中、鉄道寮に現れた少年少女は、夢の中に現れた自分の作りごとだと思っとりました」

 戦時中の出来事は夢だと思っていたの?

 祖父は私達の顔をまじまじと見つめ、眼鏡を外しレンズをゴシゴシと拭いている。

「披露宴会場でお2人を見た時、あれは夢じゃなかったと確信したんじゃ。いや、もしかしたら、これも夢かもしれませんなあ……」

 祖父は現実と非現実の狭間で、混乱している。正常な人間なら、それも致し方のないこと。私達も混乱しているのだから。

「紘一さん……」

「正直言うと、記憶が曖昧なんじゃ。以前、お2人にそっくりな少年少女にお逢いしたことがある。もしかしたら、あの少年少女はお2人のご両親かもしれんと、そう思ったんじゃ」

「紘一さんは俺達のこと、はっきり覚えてないのですか?第二次世界大戦のことは?原爆のことは?8月6日のことは……?」

 祖父は原爆と聞き、表情を曇らせた。

「戦時中のことは思い出しとうもない。原爆で日の丸鉄道学校の寮生の大半は奇跡的に助かったが、大勢の市民は被爆して死んだ。わしも被爆し心臓を病み、1945年の10月には静養のため故郷の島に戻ったんです」

 祖父は戦時中に私達と出逢ったことは、夢と見間違うほど朧げな記憶でしかなかった。寧ろ、胸の奥にずっと引っかかっていた朧げな記憶を確かめるために、私達をここに呼び寄せたようだ。

 私が桃弥君との過去を、いまだに思い出せないように。祖父もまた、私達と戦時中に拘わった記憶をはっきりと思い出せないでいる。

 私達は確かに1945年8月6日の広島にいた。だがそれは、祖父にとっては不確かな夢の世界に存在する、少年少女の幻影に過ぎない。

 口を固く閉ざす祖父に、それ以上のことを聞くことが出来なかった。時正君の安否が気になったが、『日の丸鉄道学校の寮生の大半は奇跡的に助かった』という言葉を信じるしかなかった。

 ――その夜、瑠美お姉ちゃんは母から預かっていた家族一人一人への手紙をみんなに渡した。その手紙を読みながら、祖父も祖母も美紘伯母ちゃんも瑠美お姉ちゃんも泣いていた。

 私の知らないお母さん。
 この家で暮らし、家族と過ごした20年……。

 手紙を読んでもいないのに、私も貰い泣きしてしまった。