「駐在に行けんわけがあるんね?わかった。駐在には知らせん。この家には婆ちゃんしかおらん。こんな時代じゃけぇこがあなもんしか食べさせてやれんが、思い出すまでゆっくりするがええ」

「お婆ちゃんありがとう。お婆ちゃんのお名前は?」

「わしは大崎和子《おおさきかずこ》じゃ。庚午に長男の家族が住んどる。孫は日の丸鉄道学校の学生じゃ。今は学徒動員で広島にもどっとる。お仲間さんと鉄道寮におるんじゃ。お嬢さんは時宗や時正と同じくらいかのう」

「鉄道寮にお孫さんがいらっしゃるんですか?」

「孫は10人おったが、東京に嫁いだ娘も孫も東京大空襲で皆死んでしもうた。残っとるんは、長男の孫2人だけじゃ…。戦争はわしの大切な娘や孫を死なせた。若いもんが皆死んでしまう。戦争はしてはいかん」

 お婆ちゃんは目に涙を浮かべ私を見つめた。
 
 自分が誰なのか名前すら思い出せないけど、お婆ちゃんの言葉に涙が溢れた。

 私が着ている洋服は、ピンクのブラウスに花柄のキュロットスカートと白いカーディガン。

 倒れていた時に、肩から白いバッグを掛けていたらしく、バッグの中には財布やハンカチ、携帯電話、メモ帳や鏡やリップクリームが入っていた。

 赤い財布の中には千円札が3枚と小銭が少し、コンビニやレンタルビデオのポイントカード。裏面には榮倉音々《えいくらねね》と書かれていた。

「お婆ちゃん……私の名前は多分榮倉音々です」

「音々ちゃんね?思い出したん?」

「いえ、ここに名前が書いてあるの……」

 お婆ちゃんがポイントカードを覗き込む。

「ほんまじゃ。榮倉ちゅう苗字はこの辺には住んどらん。誰かの家に行く途中に倒れたんかねぇ。名前がわかっただけでもえかったえかった。カバンの中身は見たこともないハイカラなもんばかりじゃ。音々ちゃんはお金持ちのお嬢さんなんじゃねぇ」

 お婆ちゃんは珍しそうに携帯やバッグを見つめた。

 私の持ち物は別に珍しいものじゃない。
 高価なものでもないはず。10代の女子なら、誰でも持っているものばかり。

 それなのに……高価だなんて。

 でも、そう言われたら、もんぺ姿のお婆ちゃんの家にあるものは、古い家具ばかり。家電製品はラジオ以外見当たらない。

 ここは田舎町なのかな?
 どうやら広島ではなさそうだ。

 私はどうやってここに来たのだろう。

 ふかしたお芋を食べながら、ふと新聞紙に目を向ける。

 新聞紙の日付は1945年8月1日。

 1945年……?

 財布の中のポイントカードは、有効期限が2016年8月31日だったはず。自分の名前や記憶は一部欠落しているのに、現状に違和感を感じる。

「お婆ちゃん……。ここはどこですか?今……何年ですか?」

「それも忘れてしもうたんね?ここは中島新町じゃ。今日は1945年8月2日。昭和20年じゃよ。広島は空襲も少ないけぇ、わしみたいな年寄りもこうして生きとれる。東京に嫁がせた娘を思うと不憫でしょうがない。じゃが、いつまでも泣いとれんけぇのう。兵隊さんも国民もお国のために働いとるんじゃ。皆、日本は必ず勝つと信じとる。もうちょっとの辛抱じゃ」

 ――1945年……

 ここは第二次世界大戦の広島……!?