フキゲン・ハートビート



これはフィクションの出来事のはずだと、現実を受け止めきれない脳が歪曲している。


季沙さんと洸介先輩がいっしょにいないなんて、変だよ。おかしいよ。

そんな世界があっていいはずがない。


アキ先輩が、なにか言いたげに、つま先をキュッと鳴らす。



「本気なら、怒る」


そのとき、低く強い声が落ちた。

はじかれたように顔を上げた季沙さんの視線の先には、迷いのない、ふたつの瞳があった。


洸介先輩は、怒っていた。

とても静かに。

それでも、たしかに。


「……だって。だって……こうちゃんと、あったかい家族をつくるのが、わたしの夢だったんだよ。こうちゃんも、子ども欲しいって……だから、」


季沙さんはなおも泣きながら、言い訳のように言葉をならべた。


「うん、たしかに子どもは欲しい。にぎやかであったかい家庭、俺もつくりたいって思ってる」

「っ、じゃあ……」

「でもそんなのは、季沙とじゃなきゃなんの意味もない」


迷いなんかひとつもないというふうに言い、そのあとで、洸介先輩はためらいもなく季沙さんを抱きしめた。


強く、つなぎとめておくように。

優しく、壊さないように。


人は人をこんなにも大切にできるものなのだと、愛せるものなのだと、その動作ひとつで、圧倒的ななにかを思い知らされた気がした。


「季沙。22年も一緒にいてまだわかんない? 俺が、どれだけ季沙がいないとダメなやつなのか、どれだけ季沙を好きなのか、季沙は全然わかってくれてない?」


抱きしめられながら、季沙さんが小さく首を横に振っている。

洸介先輩はどこか安心したように少し口元をゆるませると、腕のなかに収めた黒髪を、手のひらでいとおしそうに撫でた。