「帰したくない」
「あたしも…」
何も考えなかった。
咄嗟に出た答えが、
まだ帰りたくない。
そう思ったから。
「じゃあ、もう少し付き合って」
そう言うと、
木嶋さんは再び車を動かした。
車内から見える景色は、
いつもと違って見えた。
ただの街灯も、
今日は一段と輝いて見えて。
対向車の人たちも、
歩道を歩く人たちも、
みんな幸せそうに見えた。
ダメだと分かっていた。
この人と一緒にいることは、
許されない。
「お腹空いてない?」
「大丈夫です」
地下駐車場に車を停める。
ここは…、どこ?
「ここ、は?」
「俺の家」
助手席を開けてくれた彼の手を、
掴んで、エレベーターに乗り、
18階を目指す。
あたしの考えじゃ、地下駐に、
高層マンションの18階住みって。
それはもう、ただ者じゃなく、
大金持ち。
「ちょっと待ってね」
玄関の前で足を止める。
ここがこの人の家なら。
「1人、なの?」
「…そうだけど?」
「え、だって…、あの、」
ここが木嶋さんのお家なら。
中には、誰かがいるんじゃないの?
だってあなた、
指輪してるじゃない。
「あー、これか」
木嶋さんは、自分の指輪を
見て、息を詰まらせた。
薬指を眺めながら。
「ごめん。結婚してる」
そう言った。
「子どもも1人いる。けど、家族は1時間離れた場所で暮らしてて、ここは俺1人」
仕事の関係でね。
それを聞いたあたしは、
何を言ったらいいのか
分からなくて下を向いた。
すると、木嶋さんは、
申し訳なさそうに。
「ごめん。先に言うべきだった」
そう呟いた。
嫌だよな。
そう言う彼に。
不思議と何も思わなかった。
不倫なんて、絶対しない。
そう思ってた、のに。



