けれども、近頃どうにもそう思えなくなってきている。
 なぜなら、少女は人間の声で、人間の言葉を話すのだ。鈴を振るような声で、流麗なしゃべり方で。そして、よく通るその澄んだ声で彼の名を呼ぶのだ。動物は、どんなに信頼を寄せてくれても、彼を名前で呼んでくれたりはしない。

 一度ロクサムは、少女との距離の取り方を間違えて、怒らせてしまったことがある。
 人間の女の子を呼ぶように、親しみを込めて赤毛ちゃんと呼んでいいかと聞いたら、絶対嫌だと撥ねつけられた。
 ブランコ乗りがそう呼んでいるのを聞いて、可愛い呼び名だとロクサムは思ったのだった。しかし、その呼び方は少女の気に入らないものであったらしい。
 でも、そのあとで彼女はそっと、自分の名前を教えてくれた。それとともに、決してその名で呼んではいけないと、固く戒められたのだったが。決して呼んではいけない名前を教えてもらったことの意味が、ロクサムには未だにわからずにいる。

 その日以来、少女は彼をロクサムと、名前で呼んでくれるようになった。軽やかな、耳に快い優しい声で、少女は無邪気に彼の名前を呼ぶ。

 また、人魚は尻尾以外は顔も仕草も人間の少女そのものだ。それも格別綺麗な女の子の姿をしている。
 肌は陶器のように白くてすべすべだったし、髪は燃え上がる炎の色。瞳の色は鮮やかな深い碧(みどり)だった。まるで澄み切った綺麗な湖の面(おもて)のような色だ。昔巡業中にどこかの北の森で見て、心に残っている色だった。
 控えめなふくらみを持った胸元だけは布で覆い隠していたが、いつも剥き出しのままの肩と腕は白くたおやかで、思わず見とれるぐらい綺麗だ。細い首、華奢な肩、すんなりと伸びた綺麗な白い腕。細い腰から鮮やかな赤い魚の尾にかけてのなめらかなシルエットは、優美で幻想的ですらある。
 ロクサムと同じ異形(フリーク)であるにもかかわらず、少女は彼とは対照的に、とても美しかった。

 だから少女がお得意さんの夕食会に招待されたのは、考えてみたら別に不思議なことでもなんでもない。
 だが、見世物小屋の一座の他の大勢の芸人たちを飛び越えて新入りの少女がいきなり、一座の花形である舞姫やブランコ乗りやナイフ投げとともに呼ばれたのだ。周囲にはそれをやっかむ声もちらほら上がっていた。

 そして、ロクサムの胸もそのときから、なぜだかちくちくと痛み始めた。