勢いよく桶の水を浴びせられながら、ルビーは視線だけ少し上げてちらりと女の人を見た。なんだろう。やっぱり、この女の人の言い方は何か好きになれない気がする。
 ルビーの沈黙を同意と受け取ったのか、女の人は話を続けた。

「ロクサムっていうのは人の名前じゃなくて、10年ちょい前に一座がこぶ男を拾ったどっかの町の名称だよ。あの頃はまだ、あたしたちも定住してなかったからね。ちょうど海の向こうの国に招待されて大きな船で渡って、その国で巡業してた頃だよ。
 拾ったっていうか、一応、座長が金を出して買ったんだけどね。二束三文だったみたいだけどね。こぶ男は、実の両親に売られて見世物小屋に来たんだ。変わった姿で生まれてきて、普通に育たないだろうといって、やっかいばらいのためにさ。小さかったから本人は覚えてないみたいだけど」

「ロクサムは、お母さんがつけてくれた名前だって、言ってたわ」
「巡業中にあの子の面倒をみてたのが、先々代の舞姫でね。それともその前の代の舞姫だったかな? どっちにしろ、病気だったからその年か翌年あたりの冬に、どこかの町で死んでしまったんだ。
 こぶ男は記憶が混乱してるみたいで、それを母親だと信じてるみたいだね。でもロクサムってのはどっかの町の名前で間違いないから」

「でも……」
 そう呼んでほしいとロクサムは言ったのだ。それが本当にこの女の人の言うように、お母さんがつけた名前ではなく町の名前だったとしても、呼んではいけない理由にはならないと、ルビーは思う。
「ロクサムは、ロクサムよ」

 へえ、と女の人は呆れ顔になってルビーを見た。
「まあ、あんたがこぶ男をなんて呼ぼうが勝手だけどね。変だっていうのだけ、覚えておきなよ。あたしは忠告はしたからね」

 着替えるように言われて出された服は、ボタンのついた白いブラウスと黒無地のフレアスカートだった。町の仕立て屋が立体的に作る類の服で、見世物小屋では着ている人をあまり見たことはない。スカートと共布の黒いベストまでついていた。ベストの前のボタンは白っぽい銀色で、控えめな光を放っていた。
 靴だけは、お下がりだよ、と言って舞姫がくれた小さな焦茶の革靴を、白い靴下の上からもう一度履いた。

 ルビーを乗せた四頭立ての馬車は、見世物小屋の正門から、町へ向けて走り出した。