座長がルビーをどこかに売り払うという案を引っ込めた一番大きな理由は、夕食の席で舞姫がふと漏らした一言にあった。
「ねえ、理由はわかんないけど、突然人間になっちゃったんだったらさ。突然また人魚に戻っちまうってのもありえるんじゃないの? 人魚が生まれつきなのか、これまで魔法かなんかであんな姿にされてたのかは知らないけどさ」
「あたしのは、生まれつきの姿よ」
「そうかい。そりゃ、大変だったね」
 人魚の言葉に、舞姫は同情した様子だった。

 北の海にいたときには、ルビーは自分の姿について疑問に思ったことなどなかった。同じ海の底に、人魚は他にも多く棲んでいたし、北の国の人間たちにも人魚の存在は、知れ渡っていたように思う。
 いや、知れ渡るというほどではなかったのかもしれない。でも、少なくとも北の漁師の一部は一族の存在を知っていて、大小の船を波間に駆って、人魚を追いかけ回していた。

 ところがこの大陸の南端の国では、人魚は海にいる超自然の生き物の一種であるという漠然とした認識以外には何もなく、北の果てに棲むルビー達一族のことは全く知られていない。まして、その肉を食べれば不老長寿になれるなどという恐ろしげな話も聞いたことがない。

 小さな小屋の水槽でルビーが見世物にされるとき、口上師が客に、おもしろおかしく人魚の生い立ちを説明する。けれどもその文言の中にも、人魚についての真実が織り込まれることなどほとんどない。
 口上師によるとルビーは、その母親が大量に魚を食べすぎたことによる呪いで、尻尾を持って生まれついたことにされていた。人魚は自分の罪を直視できない実の親から川に捨てられ、海に流れ着いてイルカに育てられ、人間の若者と出会って恋に落ち、悲恋ののち別れ、放浪の末ついにはこの見世物小屋に辿りつき、ここを安住の地として暮らすことになったのだ、という荒唐無稽な物語が、淀みなく語られる。
 口上師のつくり話を信じる客もいなかっただろうが、といって、本当のことを知りたがる客も特にいなかった。尻尾が本物かどうかを疑っているものすらいた気がするが、それを確かめることにも人々はさほど熱心ではなかった。