彼はまだ、私に気づいていない。
「陽…くん」
震える声と、不安でいっぱいの胸を隠すように声をかけた。
陽くんは、振り向いた。
「あれ?明日香ちゃんどうしたの?」
不思議そうな顔。
私に気づかなかったのは、イヤホンで音楽を聴いていたからみたい。
「……陽くん。…死んじゃ…やだぁ…」
唐突、だっただろう。
陽くんには、まだ夢のことは話していない。
気味悪がられるのが嫌だから。
陽くんは突然泣き出した私を手招きで部屋の奥に招く。
「怖い夢でも、見たのかな?」
優しい声。
ぎゅっと抱き締めてもらったおかげで、だいぶ落ち着いた。
「おかあさんとおとうさん…死んじゃった…。陽介…さんは…死なないよね?…あすかを一人に…しないよね?」
醜い嗚咽と共に出るのは幼い頃の口調。
また寝るのが怖い。
あの夢を見るんじゃないか。
両親の寝室がフラッシュバックするんじゃないか。

手に残る、滑りとした感触。
朝に見た、赤い斑点のベッド。
咽せ返る、鉄の臭い。

思い出したくない、記憶。

「大丈夫だよ。明日香ちゃん。僕は、どこにもいかない。ずっと、一緒にいるから。……そんなに泣かないで?」
小さい子をなだめるように背中をポンポンと叩く陽くん。
それだけで、落ち着ける気がした。
「陽…くん…。お仕事終わるまで…ここに、いてもいい?」
ダメと言われたら帰るつもりで。
あまり期待はしていなかったけど、陽くんはいいよと、言ってくれた。