「なるほど、よく分かりました。彼もキーホルダーを持っているのは、至極当然です。彼も私も、このキーホルダーを、鶫沢(つむぎさわ)胡桃という女性から貰ったんですよ」
 胡桃さんの苗字、初めて知ったな……。

「しかし、驚きましたね。一髪屋君が、胡桃さんと結婚していたとは」
 本当にそうなんだろうか?
 何とも言えないので、私は「DNA鑑定が終わるまでは、まだ分かりませんけど」とだけ言った。
「それはそうですよね、失礼いたしました。一髪屋君は昔から、イタズラが大好きな人だったので、よくウソをつく、と申しますとキツイ言い方ですが……まぁ何といいますか……その……真実を語らないことも多々ありましたからね。何とも言えませんよね」
 一髪屋さんって、やっぱりいい加減な人なんだ……。
 おじいちゃんもかなりいい加減なところがあるけれど、ちゃんと空気は読んで、「ここでふざけてはダメだ」というところでは冗談を言ったりふざけたりしない。
 でも一髪屋さんは……昨日、会った印象で判断すると、空気読まない人の可能性が、多分にある。
 色々なことが頭に浮かんだけど、私は直真さんの話の腰を折りたくなかったので、黙って話の続きを待った。
 涼君は一言も口を挟まず、真剣に話を聞いている様子だ。

「一髪屋君の話はともかく……大切なのは、あなたもそのキーホルダーをお持ちということですね。ブログで書かれてましたよね、あなたがくるまれていた毛布に一緒に入っていたと」
「ええ」
 直真さんは「少しすみません」と断ってから、アイスコーヒーを口にし、一息入れてから話を続けた。
「そのキーホルダーは、特別なものなのですよ。非売品と申しますか……。その最大の特徴をお伝えしますね。あのブログには書かれていなかったので、恐らく、お気づきではないのかと思います」
「ええっ?」
 私たちが気づいていない特徴?
 そりゃ、このキーホルダーが手作りだってことは、私にも分かっているけど。
 直真さんは、話を続けた。
「金具が取り付けられている根元の部位をご覧ください。星型の形状をしているでしょう。それで、すぐに見分けが付くのです。胡桃さんの作品だと」
 かなり小さい部分なので、今まであまり気にしていなかったけど、言われてみるとたしかに星型だった。
 その星型の下部にある三角形の穴に、金具がつながっている。
「そして、これは本当によく観察しないと気づかないのですが……その星型の部分に、文字が掘り込まれているのですよ。大変小さくて、気づきにくいのですが」
 涼君と私は、キーホルダーに顔を近づけて目を凝らした。
 すると、確かにかすかに文字が見える。
 すごく小さくて、今まで気づかなかった……。
 そこには………「KURUMI」と書かれていた!
「く・る・み!」
 涼君と私は、同時に声をあげた。
 まさか……こんな大きな手がかりが、ずっと私たちのそばにあったなんて……。
 そして、それに全く気づいていなかったなんて……。
「そう、これでお分かりでしょう。胡桃さんお手製のキーホルダーだと」
 反駁(はんばく)の余地はなかった。

「なので、本官は確信しているのですよ。あなたは、胡桃さんの娘さんであると」
「で、でも……! 直真さんや一髪屋さんも、同じキーホルダーをお持ちじゃないですか。お二方とも、胡桃さんと血縁関係がおありとおっしゃるのですか?」
 新事実を知った興奮に、若干身を乗り出しつつ、私は気になることを聞いてみた。
「いえ、少なくとも本官の場合は、無論そういうわけではないです。このキーホルダーはですね、我々が共に活動していた頃、胡桃さんが親しいメンバーたちに配ったものなのですよ」
「メンバー? 劇団員さんですか?」
 涼君が言った。
「ご存知でしたか。そうです、我々は同じ劇団に所属していたのですよ。本官の所属していた当時の名前は『劇団ヴィルトカッツェ』という名前でしたが、本官が警察官を目指すために退団してから数年後、改名されたようです。改名後の名前は知りません。ちなみに『ヴィルトカッツェ』とは、ドイツ語で山猫のことらしいです。ともかく、その劇団にて、胡桃さんや一髪屋君たちと共に本官も活動していたのです」
 涼君と私は、黙って話を続きを待つ。
 直真さんは、さらに話を続けた。
「このキーホルダーをいただいたときのことについて、お話しますね。ある日、胡桃さんが特に親しいメンバーたち数名に、このキーホルダーを配ってくれたのです。胡桃さんは手先が器用な方でして、衣装を縫ったり修復したりという、裏方のお仕事もお手伝いされているほどでしたし、キーホルダーを自作されたと聞いても、さほど驚きはありませんでした。このキーホルダーも、手作りにしては、よく出来ていると思います。キーホルダーをいただいたときに、胡桃さんご本人が『次の劇の舞台背景が春の京都なので、こういうキーホルダーを作ってみました。そんなにたくさん作れなかったので、全員に配れなくて申し訳ないけれど、特に親しくしてくださっている皆さんにお渡しします。自分の分も確保しておりますが』と話されていたのを、はっきり記憶しています。あれは今から二十年近くは前の話ですし、あなたはまだお生まれになっていないでしょう。しかし、それにも関わらず、あなたがそれをお持ちということは、胡桃さんから受け継いだのだとしか考えられないように思います」

 すごく説得力のある話だった。
「でも、胡桃さんではなく、お父様からさくらちゃんへ渡された可能性もあるのでは?」
 涼君が聞く。
「その場合でも、胡桃さんがさくらさんのお母様ということは、ほぼ間違いないと思いますよ。なぜなら、もしさくらさんのお母様が胡桃さんではなく別の女性の場合、さくらさんのお父様は、胡桃さんとの思い出の品であるこのキーホルダーを、毛布に入れるはずがないように思います。そんなことをする意味がないですし。もしも、その場合に毛布に何か入れるとするなら、胡桃さんとの思い出の品ではなく、さくらさんのお母様だというその別の女性との思い出の品にすると思いますよ」
「なるほど」
 涼君がうなずく。
 私も納得できた。

 やっぱり……胡桃さん、私のお母さんかも……。
 どんどん情報が集まるにつれて、そのことは徐々に確信に変わりつつあった。
 もう会えないっていうのが本当につらい……。
 では、お父さんは誰なんだろう?
 すでに三人の方が名乗り出てくれているけど……。
 あ、そういえば……。
「あの……。失礼ですが、直真さんが、私のお父さんってことはないですよね?」
 一瞬きょとんとしたような表情になる直真さんだったけど、すぐに微笑を浮かべて答えてくれた。
「いえ。残念ながら、本官はずっと独身ですよ」
 そっかぁ……ちょっと残念。
 今まで会った中では、直真さんが一番好感が持てたので、お父さんだったらいいなと思って。
 そもそも、もしお父さんだったら、ここに来て一番最初に言ってくれてるはずよね。
 私、何考えてんだろ。
 もっと冷静にならなきゃ。
 涼君を見習って。

「それで、さくらちゃんのお父様が誰かということに関しては、何かご存知ではないでしょうか?」
 涼君が聞いてくれた。
「残念ながら、本官には分からないですね。そもそも、警察官になる夢を追って、劇団を一足先に抜けてしまってからは、胡桃さんをはじめとする劇団員の面々とも疎遠になってしまいまして……。なので、胡桃さんのご結婚やご懐妊のことは、全く耳に入ってこなかったのです。十年以上もの歳月を経て、劇団の同窓会に参加したとき、胡桃さんがすでに他界されていることをお聞きしました。本官はショックのあまり、数日間は睡眠も食事も、まともにとれませんでしたよ……。警察官を目指す日々は多忙をきわめていたとはいえ、何らかのコンタクトは取っておきたかったですね。しかし、あいにく当時は、スマホもネットも何もございませんでしたから……。なので、今までお話したこと以外は、全く知らないのです。お役に立てず、申し訳ない」
 申し訳なさそうな様子で直真さんが言って、軽く頭を下げる。
「いえいえ、とんでもない。貴重な情報の数々、本当にありがとうございます」
 私は、心から言った。
 貴重なお時間を割いて、私たちに情報をくださった直真さんに対して、感謝の気持ちでいっぱいだ。
「それでは、そろそろお暇しますね。ここの支払いは、本官がいたしますね」
「いえいえ、そんな!」
 涼君と私は慌てて「自分たちが支払います」ということを伝えたが、直真さんは「いえ、本官にお任せください」と言って笑っていた。
 あまり拒み続けるのも失礼ということで、涼君と私は、お言葉に甘えることに。
 そして私たち三人は、やおら立ち上がり、お店の出口に向かった。



 お店を出ると、屋外はものすごく蒸し暑かった。
 クーラーの利いているところから、急に外に出るのはきつい……。
 しばらくすると、お会計を済ませた直真さんが出てきた。

「今日は本当にありがとうございました」
 涼君と私は、深々とお辞儀をして言う。
「いえいえ、大したことはしておりませんし」
 直真さんは、優しい笑みを浮かべてくれていた。
 そして、私たちは連絡先を交換する。
 直真さんはご丁寧にも、メアドだけでなく電話番号まで教えてくれた。
「本官に分かることであれば、何なりとお聞きくださいね。今後ともよろしくお願いします。それでは、本官はこれで」
 私たちは会釈すると、直真さんは敬礼の後、涼君の高校がある方向へと歩き去っていった。
 涼君と私は、直真さんとは逆方向へ、ゆっくりと歩き出す。

「色んな情報が聞けたね」
 涼君が満足そうに言う。
 私も大満足だった。
「うん、直真さんのおかげだね。あとはお父さんが誰か分かれば、もう言うことないんだけどな」
「そうだね。やっぱり、来週のDNA鑑定次第ということになるのかもね」
「えっと、これからおじいちゃんのとこにお見舞いに行きたいんだけど、一緒に来てくれる?」

 今日の午前中の検査結果次第で、退院できるかもしれないと聞いていたから、ずっと頭の隅で気になっていたのだった。
「もちろん! それじゃ、病院へ行こう。退院が決まるといいね」
 すぐにオッケーしてくれた涼君と共に、私は病院へと向かった。