もう一つ補足すると。
東野圭子は卒業後、
実務翻訳家兼、文芸翻訳家としてはたらきはじめた。
文芸翻訳家で大成功できるのはせいぜい10000人に1人だけど、将来のキャリアにもつながる,挑戦してみたらいい、と、大学3年の頃、
ゼミの小野寺進先生(かなりカッコよくてダンディでやさしいうえ,その時点でまだ30後半)や
他のゼミの山本秀樹先生(みんなに、ヒデキ!ヒデキー!とよばれる)にも言われたので、
実務翻訳者ようの通信講座も大学三年から始めて、
その成績が良かったから,その通信講座開いている大きい翻訳会社に、結構たくさん仕事を任せてもらえるようになってった。
ついでに、東野圭子が大学一年の頃読んだ,ホラーポーターと賢者の杖の翻訳者みたいになれればなとおもって
文芸翻訳家のコンテストうけてみたら
準優勝者だった。
あの時専門学校でおちこぼれなったとは思えない。


東野圭子は大学卒業して9ヶ月経つと
あの専門学校の前を偶然通りかかる。
この日は平日であるが、あの専門学校近くの友人と東野圭子が,両方休みで、
その友人のとこに遊びに来たのだ。

そのとき専門学校のなかでは大友先生が講義していふ。

「今回の試験で満点でも、
3回の試験分の300点のうちの180点に達しない人は今回60点以上を取り、レポートを5枚出せば単位出ます。
あとは知りません」
やはり大友先生は立派な医療者になってほしいから
教え子の成長を祈り,あえて厳しく接してた。
東野圭子もはじめは大友先生が閻魔様無量大数人より怖い存在だった、中高生のころの東野圭子の担任が甘い優しい緩やかな先生ばっかだったから尚更。
東野圭子は、大友先生とは違う形で出会ってればもっとよかったなあと考えてた。

東野圭子は、当時のクラスメートで
初めは苦手意識感じてた、
窪田奈緒さん(成績優秀者。東野圭子は、今になって,あれほど,面倒見が良く大人びた,面倒見良い人ってなかなかいないのだなとやっと今,やっと今になって実感できていた)
あの時かなり面倒かけたり
焦ったり取り乱したり落ち着きなくしたり
あれほど世話なってておまけにあの年にしてはかなり面倒見が良い人たちだったのに
面倒かけまくってたり(実験などの時焦ったり変に意固地なったら落ち着き無くしたり面倒を不可説不可説転年分はかけたり‥)
恩を仇で返すようなことになってて
それが心底の後悔であった。
ありがとうとごめんねとを
言えたらよかったと思っていた。


苦手意識は単に自分の先入観と思い込みと勝手に自分が作り上げた壁だったのだ。

本当の意地悪な悪い人間性の悪魔みたいな悪い人間はほぼ少ないし
ほとんどの苦手意識は,自分の勝手に作り上げた壁や先入観から来るのかもしれないと思った。


そうだ、本当の意地悪な悪い悪魔みたいな人間性の人は少ないし(東野圭子が小学生の時に、別の小学校の文通友達の一ノ関さんをいじめて自殺に追いやった、いじめ仲間は本当の悪い人だが),大半は良い人だ。

やっと気づいたのだ!