次の日の朝から。

 エーレンフリートは、勤務時間が合う時は彼女の宿舎の前で待つようになった。士官学校時代は、よく女性二人が男子寮の前で寝坊癖のあるダニエルを待っていた。エーレンフリートは、ベッドで惰眠を貪るダニエルを何とか起こして彼女たちに引き合わせていた。

 士官学校を卒業して住まいが寮から独身用宿舎に変わり、勤務時間帯もずれるようになってそれらは難しくはなっていたが、二人くらいで合わせるだけなら結構何とかなるものだ。実際、マーヤとクララが一緒に出勤しているのはよく見かけた。

 そのクララは結婚して宿舎にはもういない。マーヤがそれを日々思い知る心の隙間に、エーレンフリートは真顔で入り込もうとしたのだ。

「女子の宿舎前で恥ずかしくないの?」

「ないな」

 マーヤにつっかかられた時は、そう返した。きっとダニエルは恥ずかしく思わないし、彼女らもまた逆の立場であっても同じはずだ。

 エーレンフリートは、マーヤのただの恋人になりたいわけではなかった。それだけであれば、本当はもっと簡単だったろう。

 彼女の恋人になり、エーレンフリートは親友にもなりたかった。そのためには、長い時間が必要だろう。それでも良かった。三角形の外側から羨望の眼差しで見つめるだけだったあの頃とは、もう違うのだから。

 雪が降ってぬかるんだ悪い足元を、二人で歩く。「大丈夫だってば」とちょっと嫌がる彼女の手を掴んで歩く。そんな出勤風景を、追い抜いていく同じ職場の人間にひやかされる。

 二人で歩いていると、ごく稀に違う道から出勤するダニエルとクララと出くわす時がある。そういう時は、もう少しぎゅっと彼女の手袋の手を握って近づいていく。

「おはようダニエル、クララ」とマーヤの言葉と共にこぼされる笑みが、少しずつ前のように戻っていくのを見て、エーレンフリートは一人満足を覚えていた。


 もうすぐ春になる。

 手袋もいらなくなる季節だ。

 彼女の素手に触れる日のことを、ひっそりと夢見ている男がここにいることを、きっとマーヤが知ることはない。

 それともうひとつ。

 エーレンフリートが、彼女の流す鼻血を拭きたいと考えているなんてことは、── 一生マーヤが知ることはなかったのだった。



『終』