婚約を解消してから、私はヒロを思い泣いたり、心配したり、会いたいと悲しんだりしながら、現実生活を送ってきた。

嫌だろうが、動けなかろうが時は平等に流れる。

年を重ねてゆけば、面影も全く変化しないわけにはいかない。

あの人は同じとこで立ち止まっている、過去ばかり見て現実を見ないとか他人の事を決めてかかる人がいるけど、心の全ては見えないのだ。

ましてその人を取り巻く様々な事を把握していないのに、何の権利があって中傷するのか。

聖書にあるように、まず己の目の上の垂木に気づくべきだ。お互いに。

人は前と後ろでは違って見える。

顔の向きを変えないままでも、危険や不快が迫れば手足で回避する。

寸分も変化しないのは無理だ。

もっと言えば、忘れられない人や傷を持つ人は、必ず立ち止まっているとは言えない。

前に進む速度は違えど、正確に言えばそれらを持ったまま歩いていると言うのが正しい。

熱い太陽が照りつければ日陰に動かざるを得ないし、寒ければ何かを纏わずには生きていけない。

まして私は子供を育てると言う大きな任務を遂行しているのだ。

一ヶ所にいられない。

いろんな事を抱えたまま、必死に生きている。

ヒロもタクヤもそうだろう。