かさむ電話代と交通費、過酷な暮らしとの決別を兼ねて私はタクヤのいる町で新しい暮らしを始めた。

この時の母は、屈折した感情で、私に呪いと憎しみの言葉を吐いた。

越してからも戻れと罵倒した。

けれど私は母と話さえしなければ、眠れない事もないし、過換気呼吸症候群や頻性不整脈等のパニック発作に見舞われる事も無くなった。

『もうこれからはお母さんの為に生きなくていい。
あなたは自分の人生を生きていいんだ』

前の町のカウンセラーの言葉だ。

『あなたはそこでは幸せになれない。
こっちへ来なさい。
体も心も治して幸せになりなさい。
あなたを引き受けます』

これは私の引っ越し先の役所の人の言葉だ。

私はとても書けないような、過酷な体験や状況を話し、彼の町の役所に助けを求めたのだ。

そして、まさに人の命がかかっていると判断されて緊急保護してくれたのだ。

近くに親戚がいる事が条件だったが、東京タワーの側に叔父がずっと暮らしていたので問題はなかった。

一芸能プロ社長の叔父が、

『お前すごい行動力だね!』

と、目を丸くしていた。

この時は故郷に何の惜別の思いもなかった。

地獄だったから。