拓実くんは、彼自身が通う高校の最寄り駅で降りていった。

私と麗眞くんは、学校の校門の少し手前で、リムジンから降りるように言われる。

「何から何までありがとうございました」

「いいえ、どういたしまして。
何かあれば、いつでも助けになりますよ」

わざわざ、車を降りて私たちを見送ってくれた相沢さんに会釈をしてから、昇降口へ向かって歩き出す。

いつも通り、上靴に履き替えようと靴箱のカギを開けたところで、異変に気付いた。

上靴がないのだ。


「あ、理名と麗眞くんじゃん?
理名、もう熱下がったの?
それならよかったじゃん」

「そうそう。
拓実くんも、看病してくれたみたいだしね?
ただの友達よりは仲いいんじゃない?
2人とも」

そう声を掛けてくれた、美冬と華恋。

深月と椎菜も、一緒に登校してきた。
そして、彼女たち4人がそれぞれ目を合わせた。

その顔は、蒼白だった。

「理名?
靴、ないの……? 
他の人のと間違えている可能性もあるし、もう一度よく探してみよ?」

深月は、おはようの挨拶もなしに、周りの靴箱を探し始める。

携帯電話が着信を告げる。
見ると、碧ちゃんからだった。

「ね、理名ちゃんの体育着がなくなってるの。
机は分解されて、しかも落書きされてるし」

「深月ちゃんと、美冬ちゃんは、理名ちゃんの傍にいるんだ」

それだけを指示した麗眞くんは、椎菜、華恋と一緒に教室に向かった。

深月は、再度靴箱の右端に貼られた学生証と見比べて、確認している。

やはり、問題の靴箱は私のものらしい。

なんだか、昔にも、こんな目にあったような気がする。
上履きを隠され、机には落書きをされ。
その上に、花瓶が置かれ……。

教科書も、シュレッダーにかけられたように細かくなっていた。

その時のことが、鮮明に脳裏に蘇る。

同時に、息苦しさと気分の悪さを感じた。

相沢さんみたいな、春なのにタキシードを着た人物が、昇降口から入ってくるのを目の端で捉える。

そのまま、深月と美冬にもたれかかるように、意識を失った。


それから、何時間経ったのだろう。
私は、昨日も見た保健室の天井を見ていた。

「昨日の、拓実くんのせい?

もう、あの態度で、拓実くんが好きなのは理名だって確定しちゃったから、それで反感かったのかもね」

「理名、第一印象だと、とっつきにくい子って思われちゃうのかも。
話してみると、いい子なんだけどね。

その良さが、伝わらないのよ」

「にしても、彼女、超がつくほど真面目ちゃんだから。
教科書は失くされたりしなかっただけが幸いよね」

「それにしても、これ、ひどいな。

上履きも体育着もまだ見つかってないし、ロッカーのカギまで破壊されてるし。

机まで分解されるとはな」

「それに、SNSのアカウントまで乗っ取られてる。
悪質にも程があるよ。
ったく、やけにそういうことだけには頭回るやつらだからな……。

相手にするこっちも、長丁場を覚悟しないと」

本人たちは、私が起きていることにまるで気付いていないようだ。
小さい声で話しているつもりなのだろうが、丸聞こえだ。

それに気付いた深月が、皆に向かって、人差し指に手を当てるジェスチャーをした。

これにより、皆の目が一斉に私に向いた。

「あっ」

「ごめん。
まさかだけどさ……。
全部聞こえてた?」

「うん」

困ったように、私を見る目が伏せられた。
すると、保健室のドアが開いて、相沢さんが入ってきた。

「理名様の先ほどの症状は、PTSDだと断定できます。

深月様や、もちろん、医学に博識のある理名様ご本人のほうがお詳しいでしょう。
私から詳しく言うことはいたしませんが」

PTSD。
災害や事故にあったり、虐待されたりしたあとにトラウマに苦しむ、れっきとした病気。

今回のように、何年も前のことが、急に思い出されるのだ。

それも、急に生々しく思い出し、当時と同じ感情が蘇ってくるという、厄介なものだ。

「そのうえで、今からの映像、見る覚悟はおありですか?
岩崎 理名さま」

「相沢さん!?
心理学の知見を持つものとして言います。
今は、止めたほうがいいと思います!」

「深月様。
ご忠告は、ありがたく受け取りますが、これを決めるのは、理名様なのでは?

カウンセリングでも、患者の意志を一番に優先するのが基本だと言うではないですか」

相沢さんに諭されて、二の句が継げなくなった深月。
さすがに、私たちの何十倍も、経験と知識を合わせ持つ大人は、高校生ではとても論破できない。

「見ます。
その映像、見せてください」

私の目を見て微笑むと、何かの機械に、モニターをつなげて、映像を映す相沢さん。

『何か暗いよね、岩崎 理名』

『そのくせに、あんなイケメン捕まえてさ。
色仕掛けでもしたんじゃね?』

『いやいや、それはないでしょ。
あんな貧乳に色気なんてないし』

『だよねー』

その声に賛同するように、多くの笑い声が響いた。

『ってか、母親、いないみたいよ?
アイツ』

『むさい父親と住んでるみたいね。
貧乏な割りに一軒家みたいだけど』

『でも、その親父も、相当なのんだくれらしいじゃん?
愛想尽かして離婚したとか?』

『いやいや、そんなんじゃないでしょ。
何でこんなヤツと結婚したんだって自分を責めて自殺したとかだったりして!』

ギャハハ、とうるさい笑い声が響く。

自分の拳を、これでもかというくらい、渾身の力で握った。

伸ばしっぱなしだった爪が皮膚に食い込んで何滴も血が流れているのなんて、気づかないくらいに。

「ムカつく。
人の両親をネタにして好き放題、絵空事の妄想並べるなんて、人間のすることじゃない!
将来、医者になっても、今、この映像に映った奴らは、診察をボイコットしてやる! 

生活習慣病で高血圧になろうが、糖尿病になろうが、ガンになって余命宣告されようが、自業自得だ!

そもそも、私が働く病院になんて患者として来させないからな」

そんな言葉を、気がついたら口走っていた。

「逆襲のしかたがえげつないな。
怖い怖い」

麗眞くんがボソッと呟いた言葉も、全く耳に入らなかった。