翌日。
確か今日は琥珀と巽くんがデートの日だったはずだ。
そうは思った。

だからといって何もする気にはなれず、昨日の体育の疲れもあり、朝ごはんも食べずに眠ってしまった。

目覚めたら携帯に連絡が入っていた。

『疲れて寝てた?
起こしちゃったらごめんね?

美冬と深月も来てるの!
良かったら琥珀の家来ない?

あ、泊まる用意もしておいでね?

今から琥珀が迎えに行くから、琥珀の家の最寄り駅まで着いたら連絡ちょうだいって。
宜しくね!』

メッセージは華恋からで、3分前に入っていた。

「やば、寝ている場合じゃなかった!」

スウェットとTシャツをリュックに入れ、去年の宿泊オリエンテーションのときに買ったシャンプーにコンディショナー、ボディソープが入ったセットをスパバッグに入れた。

巾着に下着類を放り込む。

ハンガーに掛かっていたベージュのワイドパンツと、首部分にフリルがついたボーダーのトップスを着る。

親友の家に行くだけだ。
気合を入れる必要はない。
ベージュのスニーカーを履いてリュックを掴むと、鍵を閉めてから駅まで走った。

駅に着くと、改札をくぐってちょうどホームに滑り込んできた逆方向の電車に乗った。

ここから5駅過ぎると、琥珀の家の最寄り駅だ。

私の家からでも45分は通学にかかる。

急行が停まる駅とはいえ更に遠いとなると、通学に1時間はかかるのではないか。

それにしても、デートはどうなったんだろう。
少し気になるな。

そんなことを考えていると、車掌のアナウンスが琥珀の家の最寄り駅が次の駅だと知らせる。

電車が停まるなりホームに降りて、階段を駆け上がる。

改札を出たところに、ミントグリーンのシアーシャツを羽織り、下はレースパンツを履いた琥珀が立っていた。

160cmは超えている身長が、更に高く見える。黒い厚底サンダルのせいだろうか。

黒いショルダーバッグを斜めがけにしながら、琥珀が言った。

「ごめんね?
急に呼び出して。

いつメン呼びたかったけど、椎菜は体調崩してるし、麗眞くんも椎菜が心配でそれどころじゃないだろうから。

秋山くんと小野寺くんは女子会ならぬ男子会してるんだってさ。
巽くんもなぜか輪に入れられてるみたいなんだけど。

ま、男同士で下世話なトークさせるのもいいんじゃないかな。

あ、深月たちは家にいるよ。
人数増えたし、ついでに買い出ししたの」

そう言う琥珀は、片手にコンビニのレジ袋を下げている。

身軽なため、それを持つ。
かなり重かった。

これ、2リットルペットボトルが2、3本は入っている重さだ……

レジ袋の重さで思うように歩けない私は彼女に支えられながら、琥珀の家に到着した。

相変わらず凄いエントランスだ。

オートロックと指紋認証センサーを備えているようだ。

どんだけ厳重なんだ。

「お邪魔します……」

おずおずと中に入って長い廊下を通ると、リビングになっている。

深月たちはそこにいた。

「あ、理名!

待ってたよ!」

「やほー!」

「ごめんね、疲れてたからゆっくりしたかったでしょ」

「どうせ家にいても暇だったからね、ちょうどよかったよ。

あ、洗面所の場所教えて?
手、洗ってくる」

この家に長年住んでいる琥珀に洗面所に誘導されて手を洗う。

2人は同時に使えるようだ。

どこぞの商業施設のお手洗いの手洗い場みたいな造りをしている。

ハンドルを右にひねって水が、左にひねるとお湯が出る仕組みのようだ。

しかも、水の勢いや量に合わせて鏡がライトアップする仕組みらしい。

女優ミラーかよ。

「お手洗いも自由に使っていいからね。
鍵、2つ閉めれば外からは開けられないからさ。

便座に座るとめっちゃ壮大なクラシック流れるけど、びっくりしないでね」

「麗眞くんの家とはまた違う豪華さだね、琥珀の家。

いいなぁ。

こういう雰囲気好き」

「そう?
ありがと。

でも、独りでいると暇持て余すだけだよ。

大学に慣れたら、そうじゃなくても、社会人になったら家出るんだ。

理名とか、初めて来た人たちからは豪華な家だに住んでて羨ましいって言われるけど。

住んでる本人からしたらそんなことないよ。

椎菜とか深月、美冬みたいに服たくさん持ってるならウォークインクローゼットでもいいと思うけど、私はそんなんじゃないからさ。

さ、リビングこっちだよ」

再び彼女によってリビングに案内された。

私が来るなり、袋からたくさんのポテチやチョコクッキーが出され、開封される。

さながらお菓子パーティーだ。

「で、琥珀。
良かったじゃない。

叔父さんへの誕生日プレゼントも見つかったんでしょ?
今度は巽くんから来月は俺の買い物に付き合ってもらう、って言われたそうじゃない。

告白秒読みだと思うな」

「え。
そうなの?

皆、青春してるなぁ。
羨ましい」

「何よ。

そう言う理名だって、告白秒読みじゃない。
というか誰がどう見ても両想いなのに。

アンタと拓実くん。

まだ付き合ってないのが不思議なくらいよ」

「ね、なんて言われて付き合ったの?
美冬と深月は」

琥珀の一言で、深月と美冬は2人とも顔を真っ赤にした。

「それ、今聞く?」

「え、今言わなきゃダメ?」

「ダメよこれくらいで恥ずかしがってちゃ。

昼間聞くには際どい話もね、後で聞くかもしれないのよ?

恋愛未経験者ってそういうもんだから」

華恋の言葉で、2人の覚悟は決まったようだ。

「私も気になるなー。
特に美冬が」

「私はね、宿泊オリエンテーションのときにちょっと色々あったの。

私は本気だったわけじゃない。
これだけ辛いんだ、ってわかってもらうためにわざと、切れ味悪いハサミで手首を傷つけて。

賢人はそれ止めようとして、そのハサミが肩に刺さっちゃって。

2人とも病院行き。

その病室で、賢人に言われたよ。

『遊び相手としか思ってないような男に、美冬が可愛く尻尾振ってる、って思うとムカつく。

その男のことは何とかする。

だから、今すぐとは言わないけど、美冬のことは、俺が貰っていいかな。

今も本気だから。

保育園のときに言った、俺が貰ってやるって言葉も、幼い自分なりの告白のつもりだった。

あの時から、俺は美冬に片想いしてたわけ』

こう言われたら急に賢人のこと、男の人として意識しだして。

いろいろ考えてたら疲れたのか寝ちゃってて。

次の日の朝、あの宿泊オリエンテーションに向かう途中のパーキングエリアで休憩のときだったかな。

はぐれると困るからってついてきてくれて。

そのときに、私の知らない賢人の一面が知りたいから。

私と幼なじみじゃなくて恋人になってくださいって返事はしたかな。

その後、晴れると富士山がキレイに見える場所に案内されたの。

そこで返事の代わりにぎゅってされて、軽くキスされた、かな」

美冬は恥ずかしそうに、その後富士山の写真撮ったからと言ってスマホの中にある画像を見せてくれた。

確かに、日付は宿泊オリエンテーション最終日の日付になっている。

話を聞いて、羨ましそうに美冬を小突いた琥珀だが、気になったのはそこではないようだ。

真面目な顔で、こう問い返した。

「相当な遊び人、って噂のその男さ、黒髪に眼鏡でそばかすある男?

運動部には入ってなさそうな、ひょろっとした体つきの」

「そうそう、ソイツ。

黙ってればイケメンだから女にモテるがモットーだったな。

確かに黙ってればイケメンなんだ。

それは確かなんだけど、自分の思い通りにならないと手が出たり、口調が乱暴になる節があったかな」

「ソイツ、一回私が締め上げたかも。

制服着た中学生2人組に言い寄っててさ。

私はピアノ教室の帰りで。

嫌がってるからやめてあげれば?

アンタ、女をとっかえひっかえしてるらしいじゃん。

風の噂で私の知り合いもアンタの毒牙にかかったんだけどどう責任とってくれるの?って言ったの。

それでも言い寄るのやめなくてさ。

合気道の技と、喉付いても怯む様子なかったから、躊躇なく金的喰らわせてやったの」

「そしたらもう1人仲間がいて。
後ろから木刀で殴られそうになったのよ。

だけどすんでのところで、大学生くらいの人に助けてもらった。

その人は柔道習ってるみたいで、軽々とその男投げ飛ばしてね。

何人もの知り合いに当たって、情報掴むのに苦労した、何せ4つ下の妹もお前に泣かされた、って言ってたな、助けてくれた人。

その人のことなんだけど、あとから知ったの。私と深月、椎菜、麗眞くんの知り合いだって。
名前は、黒沢 成司(くろさわ せいじ)

えっと、確かあのグアムの別荘で何回か会ってるはずだ、って。

女遊びが趣味だったのね、その竹田、って名前の男。

その助けてくれた人が通報したのか知らないけど、すぐパトカーに乗せられたわ。

伸びてた男は大学生くらいの人と警官が2人がかりでパトカーに乗せてたけれど」

その話は初めて聞いたようだ。

今度は美冬がキョトンとする番だった。

「そっか、そんなことがあったのか。

『悪かった。

おまえの連絡先は消去したから』ってメールがソイツから1通来ただけだったから。

ありがとね、琥珀。

私が賢人といられるの、琥珀のおかげだね」

「ううん、気にしないで。
私も人助けが趣味みたいなもんだから」

「賢人くんとのハジメテの話も夜聞かせてね。もちろん深月のも。

アレ、そんなにいいわけ?」

「うん。
何かね、いつもの20倍は色っぽく見えるかな。

鼻血出すかと思ったもん」

「それは分かるかも。

私もミッチーが色っぽくてドキドキしたもん。

私を呼ぶ声も熱持ってて、スイッチ入った男の人ってこうなんだな、って思った。

痛いんだけどね、それ以上に幸せだな、って気持ちが勝つよ。

好きな人と心も身体もつながってる感覚がなんとも言えない」

夕方なのに盛り上がっている。
こんな時間にこんな話、いいのか。

ポテチをポリポリと食べながら話を聞く私に、華恋が話を振る。

話の矛先が急に私に向くなんて思わなかった。

「んで?理名。

拓実くんに自分の気持ち言うんでしょ?

なんて言うつもりなの?

拓実くんのことだから、カッコいい台詞はまず自分から言いそうだけど」

気持ちを言う決心はしたが、台詞なんて考えていなかった。

「『拓実くんが好き。
拓実くんと恋人同士になれたらいいなって、ずっと思ってた』

みたいな言葉で充分、伝わるんじゃないかな」

「ありがと。
その案、採用させてもらうね」

私がそう言った後、しばしの沈黙を破るようにインターホンが鳴り響いた。

教会の鐘の音みたいな、荘厳な音がした。

「きっと相原さんだ。
友達来るって話をしたの。
食材買ってくるから何か夜ご飯作るって張り切ってたから。

私も手伝うからさ、お客様たちはどうぞごゆるりと過ごして」

琥珀はそう言って、リビングを出て廊下を駆けて行った。

数分後、こんばんはという挨拶とともに柔和な笑顔を私達に向けるおばさんがいた。

「あら、数日前見た顔もそうじゃない子もいるわね。

いらっしゃい。

さ、皆さんは嫌いな野菜がないかとアレルギーがないかだけ教えてくれればいいの。

後はゆっくりくつろいでいて」

言われるがまま、アレルギーはないですと私が口火を切ると、皆アレルギーも好き嫌いもないようだ。

琥珀だけは、オクラとインゲン、ナスが苦手なようだが。

言われるがまま、美冬や華恋、深月といろいろな話をした。

美冬たちは、明日揃って用事があるようだ。
明日の朝になったらすぐに帰るのだという。

そうなると、私も強制送還されそうだ。

そんなことを思っていると、濃厚なチーズの香りがしてきた。

「ふふ。ちょっとはホームパーティー気分を味わってほしくてね。

皆で楽しんでね」

食卓に並んだのは、数々の夏野菜と、バゲットだ。土鍋に入ったトロトロのチーズに、お皿に乗ったピザもある。

「チーズフォンデュ!」

「映え間違いなしっしょ!
後で賢人に送ろーっと」

「皆で動画撮ったほうが早くない?」

美冬たちがこれぞ女子と言ったようなはしゃぎ方をしている。

何だか宿泊オリエンテーションを思い出して、懐かしくなった。