桃花との楽しいお風呂を済ませ一緒の布団に入ると、祥子の腕の中で直ぐに寝息を立て始めた。その寝顔を見ているだけで、先の散財が無駄でなかったと心から思える。キッチンから聞こえる調理音が気になり、祥子は桃花に毛布をかけて寝室から出る。キッチンでは包丁を片手に野菜を切る鉄平の姿がある。祥子に気がついたのかその手が止まると振り向き口を開く。
「桃花寝た?」
「うん、ぐっすり」
「そっか。凄いはしゃぎようだったからな、本人も疲れたんだろ」
 キッチンの椅子に座ると祥子は無言で鉄平を見つめる。何か文句でも言われるのかと鉄平は少し緊張している。
「ホントに今日はごめん。昼間の件も含めて、半ば無理矢理泊まるようなことにもなったし。怒ってる?」
「ん? 全然。強いて言えば、未だ約束のモンブランが届かないことについては不信感が募ってますけど?」
「悪い。最近仕事忙しくてな」
「知ってる。同じ会社だからね。それより、それって明日のご飯の仕込み?」
「ああ、今のうちにやっとかないと朝大変だからな」
「手伝おうか?」
「助かる」
 キッチンの横に立つと、鉄平の言われるまま玉葱やピーマンをみじん切りする。その間、鉄平はスープを作りながら並行して鳥肉団子を作っている。
(手際いいわ~、仕事もこれくらい出来ないのかしら?)
 おちゃらけたイメージしかなかった鉄平への評価は正反対に変わり、祥子の中で断然イイ男候補に上がっている。仕込みを終えると、鉄平は祥子の方を向いて礼を言う。祥子の手助けがなくても鉄平は全てやり遂げたであろうことは明白だが、感謝されて嬉しくない人間もいない。照れを隠しながら礼を適当にあしらい、キッチンの時計を見る。針は十時を指している。
(十時か。私的にはまだ寝るの早いけど、コイツの生活リズムは崩したくないしな……)
「アンタ、毎日何時に寝てるの?」
「十二時から一時の間かな。今から洗濯しておいたヤツをアイロン掛けして畳んで、後は仕事を少々」
(ちょっと、大変じゃない! コイツ毎日凄いハード!)
「ちなみに朝は何時起き?」
「五時」
(言葉も無いわ、職場での居眠りの原因が今分かった……)
「洗濯関連は私するから、アンタは仕事して」
「いや、でも悪いよ」
「いいから。早く、この時間が勿体ない」
 祥子の強引な指示により、鉄平は申し訳なさそうに仕事をする。その横で祥子はアイロン掛けをこなして行く。
分担した甲斐もあり、一時間もしないうちに家事と仕事が終わり、鉄平は喜んでいる。
「こんな時間に自由時間が来るのは久しぶりだ。ホント助かった」
「泊めてくれたお礼よ」
「いやいや、泊まってくれてありがとうなんだけど」
「あっそ、じゃあそれでもいいし。これからどうする?」
 自分で聞いておいて祥子はハッとする。
(しまった! これから何するって、まるで私の方から誘ってるみたいじゃん!)
 鉄平を横目で見ると頭をポリポリ掻いて考えている。黙っていると鉄平は口を開く。
「一ノ瀬はいつも何時に寝てる?」
「えっ、う~ん、十一時半から十二時くらいかな」
「今が十一時過ぎだし、もう寝るか?」
(これはどっちの意味で寝ると言っているんだろう。一応さっきのお風呂で準備はできてるけど……)
 じっと見ていると何かに気がついたのかハッとする。
「あっ、ごめん」
「な、なに?」
「来客用の布団がなかった」
(やっぱりそっちか、この鈍感男め)
「俺、ここのソファーで寝るから、一ノ瀬は俺の布団で寝てくれ」
「ソファーってアンタ。こんな寒い中じゃ風邪引くよ?」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃない。私は風邪引いても問題ないけど、アンタの身体はアンタ一人の身体じゃない。桃花ちゃんを守るための身体でもあるんだよ。もっと大事にして」
 祥子からの思いもよらない説教に鉄平はたじろぐ。
「すまん。でも、布団は一つしかないし……」
 黙り込む鉄平を祥子も黙って見つめる。
(これだけ熱く見つめているのにホントに気づいてないのコイツ?)
 しばらく、見つめていると鉄平が口を開く。
「三時間交代で寝るというのはどうだろうか?」
「雪山か! 私達は雪山で遭難したコテージ内のクルーか!」
 余りの的外れな発言にさすがの祥子もキレる。
(つーかコイツ彼女でもいるのか? いやでも前に彼女欲しいうんぬん言ってたし。単純に私を異性として見れてない? そういう対象に見れないなら分かるけど、私ってそんなに魅力ないか?)
 祥子から放たれる批難の眼差しに鉄平は少し怯えている。
「じゃあ、どうすればいいんだよ? 提案があるなら一ノ瀬の言う通りにするけど?」
(私からそんなはしたない申し出が出来るか! っていうか、これって色気のない私が悪いのかも。すぐキレるしずけずけモノ言うし……)
 自己嫌悪になりつつも祥子は覚悟を決めて、鉄平の座るソファーに並んで座り語り始める。
「私ね、好きな人がいるの」
「俺?」
(こんなときだけ察しが早えー!)
「ち、違うわよ!」
「そうか、で?」
「うん、片思いというか一方通行というか、想いを伝えられないのよ」
(つい否定してまって余計切り出しにくくなった。ダメだ私……)
「通勤中に一度見かけただけで、名前も知らないし顔すらも覚えてないんだけど、ずっと忘れられないの。なんかその行為が感動的でさ。カッコ良かったのよ」
「車に轢かれそうになった子供を助けた、みたいな感じ?」
「うん、そんな感じ。それがスマートでカッコ良かったの。で、数ヶ月前にその相手を見つけたのよ」
「俺?」
「違うから。しつこいなアンタ。スーパーで振った男よ。覚えてるでしょ?」
「ああ、恋人のフリして振ったヤツね。なんで振ったんだよ。片思いの相手だったんだろ?」
「よくよく聞いた別人だった」
「だっせー」
「黙れハゲ。んで、なんやかんやで今日イオンで偶然会ってさ、最初で最後のデートとか言って買い物しているときに、空気の読めないバカな男から電話掛かってきてデートもオジャン」
「あはは、誰だよそのバカ」
「アンタだよバカ」
 昼間の電話を思い出し鉄平はしょんぼりする。
「今日の保育園への急行も、その人が送ってくれたのよ。だから、ちょっと見直しちゃった」
 鉄平の反応を見ると相変わらずしょんぼりしている。
「もしかして、俺、一ノ瀬の恋路を邪魔した?」
「うん、邪魔したね」
(ホントは青柳さんとは完全に切れてるんだけど)
「ごめん。俺がそいつに会って釈明しようか?」
「いやいや、ややこしいことになるからいいって」
「でも俺、責任感じるわ……」
(責任か……)
「じゃあ、責任、ちゃんと取ってよ」
「えっ?」
「三年ぶりの彼氏ができなかった責任」
 祥子は近距離で再び鉄平をじっと見つめる。鉄平もその真剣な眼差しを見て何かを感じ取ったのか視線をそらす。
(私の方からこれ以上何か言うのはダメだ。後は鉄平の気持ちを信じるしかない)
 緊張した面持ちでじっと見続けていると、鉄平は再びこちらを向く。
「俺、一ノ瀬に嫌われてるって思ってたけど、もしかして勘違い?」
 祥子は見つめたまま黙って頷く。
「じゃあもしかして、さっきの好きな人が俺じゃないっていうのも嘘?」
 再び頷く祥子を見て鉄平の頬は赤くなる。しばらくの沈黙の後、鉄平は真剣な目つきで切り出す。
「俺でいいの?」
 笑顔で頷く祥子を確認すると、鉄平は祥子を正面から優しく抱きしめる。祥子も同じように鉄平を抱きしめる。
「一ノ瀬は嘘つきだ」
 抱きしめたまま鉄平は呟く。
「女の嘘を見抜けないアンタが悪い」
「口の聞き方も悪いし、すぐに俺をバカ扱いする」
「しょうがないじゃない。アンタ、ホントに天然なんだもの……」
 少し離れると鉄平の方からキスをし、ソファーに押し倒してくる。祥子は抵抗することなくそれを受け入れる。
「祥子、これからずっとオマエを大事にする」
「分かってる。鉄平の優しさは誰よりもね」
 再び重なる唇に祥子の身体は熱くなる。やっと叶った想いに嬉しくなると同時に、子犬を助けた男性への想いが消えて行くのを感じていた。