それに自分の素性や住所、さらには名前さえ分からなくなっていたというのだ。

…そんな事を信じるお人好しがいるか!?

…まるでギャグの世界だ。

ここはどこ?私は誰?…それとも頭が……?

「もしかして、記憶喪失ってやつか?」

俺は嘲笑気味に言った。

「…そうだと思うの」

彼女は淡い車内灯の中で、俺を真っ直ぐ見つめてきた。

「お願い!助けて」

「助けるったって、どうすりゃいいのよ?」

「…せめて、今晩一晩だけでも泊めて下さい」

「大人をからかうもんじゃないよ」

「そんな、からかうなんて、……」

その時、俺を見つめている眼から、輝く真珠の一粒が生まれた。

俺は女の涙と、理不尽に弱かった。
どちらも理屈では解明できないからだ。

それに、ニュアンスには嘘は感じられなかった。
もしそれが本当の事なら、ソマリアの難民以上に助けを必要としているだろう。

「何か、免許証とかキャッシュカードとか、身分の分かる物を持ってないの?」

「探したんだけど、……見付かったのは、スカートの内ポケットにあった一万円だけだったわ」

俺はこめかみに手を当て、溜め息をついた。

「何故、俺に?」