「よしよし」
頬に触れた都世知歩さんの手。
寝起きだからか、温かかった。
なのに、言葉にしないごめんなさいを何度も繰り返すように背中を擦ってくれるから、思わずふと笑みが零れる。
『ごめん』という言葉が私を刺すことに気付いて。
申し訳なさそうな優しさは、背中ではずむ。
「…じゃあ、一つ願い事叶えるよ」
冗談みたいに都世知歩さんが頭の傍で笑ったのがわかった。
「え、いいですよ」
「まーまー。何でもいいよ。何でも叶えられるから」
彼はあどけない微笑みを魅せてそれを口にする。
なにを、言って。
「あ、でもいっこ叶えられないことあった」
「…なんですか?」
「“過去”。だから今、十分前に戻してって言うのはなし、過去が変えられないって言ってるんじゃないけど」
「…どういう、意味ですか」
魔法を声にしているような都世知歩さんは、見上げると「んー?」と口元に弧を描く。
「俺らが“今”思う過去は今のもの。今の考え方を変えれば、過去が変化して映ることもあるってこと」
それを聞いて固まる私に、彼は「きやすめ」と言って口を閉じた。
それからあまく微笑んで私を見下ろす。
私の顔を目にした彼が、またごめんと心内で言った気がしたから。
私は黙って都世知歩さんの鼻を摘まんだ。
「!?」
「…ネガイゴト。職場通りにかわいい雑貨屋さん見つけたので買う家具運ぶの手伝ってください。送料が浮くからお願い」
「何その現実的なお願い」
「だめですか!だめだったらいいんです、排水溝の掃除五十回連続担当券をおねがいします」
「……何かやだ」
「じゃあ、都世知歩さんの洋服全部ください」
「売る気か、ばか。俺がパンツ一枚で家の中うろついたりお前起こしに行ったりしてもいいっていう「やっぱりやめた」
ふと都世知歩さんが笑顔になって、私も笑ってるってことに気づく。
彼は言った。
『過去が変化して映ることもある』
それってすごいことだ。
そう思って毎日生きている都世知歩さんってすごいと思った。
その言葉を。
いつかまた私はすごいと思い返す日が来るのだろう。
そんな気がした。
彼のダークブラウンが春風に揺れる。
今はどんな想い出でも、憶えておこう。
憶えておけば、
きっとまた想う日がくる。
生涯一度のファーストキスは、春風の、香りの中。
