真昼様は明らかに不機嫌だ。絶対零度の視線が物語る。
「私も初恋が実るとは思ってません。現に朱夏様は覚えてもいらっしゃらないようだ。」
「確かに覚えていない。幼い頃の記憶が曖昧なんだ。特に父上が亡くなられた頃のな。男として生きよ、と命じられた事が幼心に負担だったのだろう」
俺は深く息をした。
不意に真昼様は俺の頭に手を伸ばし壊れ物でも触るようにそっとおさえた。
それはそれは優しく子猫をかわいがるような仕草だ。
「何とも思っていない女子と策略といえど、婚姻出来ませぬ。」
真昼様の言動を、言葉を俺はどう理解していいかわからなかった。
勘違いするな。
真昼様は当主になりたいだけ。
俺は真昼様の手を払いのける。
「なぜ?真昼様にとって俺は当主になるための駒だろ?」
押さえつけているのに体中の脈があがる。
こんなこと聞きたい訳じゃないのになんで俺はこんなこと口走ったんだろう。
真昼様は俺の言葉には答えない。ただ悲しそうに目を細めるだけ。
「策略と思っていたければ思えばいい。わたしのことはなんともおもっていなくともよいのです。しかし、今日中に婚約していただく。」
真昼様は俺から視線を外し前を見た。
その横顔はやはり冷たい。
「先を急ぎましょう。」
真昼様は俺を気にしないような早さで馬を走らせる。
怒ってるのだろうとおもうが、何で怒らせたのかわからないし、どうしようもない。
俺は真昼様の馬について行きながらも途中、頭上にあるサルナシの実やハシバミの実を摘んでつまみ食いしたり、貴重な蜂の巣を見つけたりしてたのしんだ。
しばらく馬を走らせていたが、真昼様は俺を振り返り休憩にしようという。
俺たちは馬を下り、適当な木に馬を結びつける。
真昼様は馬の鞍から金筒を取り出し、水をのむ。
真昼様は水を飲まない俺を不思議そうにみつめ自分の金筒を渡そうとしたが、俺は結構、といって断った。
「水分補給しながら走ってたんだ。ほら?」
俺の手にはつやつやと光るブドウが一房握られていて、俺はそれを上に掲げもって食べる。
甘酸っぱさが口に広がってのどの奥がきゅっとすぼまるようだ。目の前には驚いた顔の真昼様がいる。
「朱夏様は体力もあり、馬の操縦もお上手だ。私についてくるのだけでも大変でしたでしょうに、そのように狩りまでしていたとは。」
感嘆したように真昼様がいうのが嬉しくて朱夏は胸を張る。
「俺はもともと体力もあるほうだし、目も耳もいいんだ。登紀子姉様と採取をしていたし、動物の臓物を薬にすることもあるだろ?本格的な狩りもしていた。山は家みたいなものなんだ。」
「家?」
「俺、朝陽叔父上に色々いわれるのが嫌でよく屋敷を抜け出しているんだ。屋敷には居場所はないけど、山の中なら、安らかに過ごせるし。」
俺が真昼様の目の前に葡萄をつき出して食べるように促すと、真昼様はすこし悲しげに葡萄を一粒とって口に入れた。予想より甘酸っぱかったらしく、顔をゆがめる。
「…甘い。」
「そんな顔して負け惜しみを言うな。酸っぱかっただろう?まぁ、人とは「酸っぱい葡萄」を口に入れたとたん「甘いブドウ」に変える生き物だからな。」
俺たちは、笑いあってお互いの馬の間に隣り合ってすわる。
葡萄を食べ合っていると、不意に
「私が朱夏様と婚姻するまでの辛抱です。私が当主になって、朱夏様の居場所になります。」
そういって俺の頭をなでた。
その仕草に脈が縮むようだ。
「遠くから見ているだけでは受け入れられるか不安でしたが、私の手の中にいる朱夏様はとても甘い」
「わけがわからん、残ったのは真昼様が食べろよ。」
恥ずかしさを隠すようにブドウを一気に引きちぎって一気に口に放り込む。
忘れるな。
恋するな。
真昼様は俺を利用しているだけだ。
しかし、隣にいるだけでこんなに胸が苦しい。
恥ずかしくて、顔を上げられない。
まだ頭の上にあった手が俺の手から葡萄を受け取る。
俺が顔を上げると真昼様の顔や首筋に少し汗をかかれているのが見えた。
「汗をかいてる。風邪ひくぞ。」
手ぬぐいを持った手を伸ばすと、不意打ちだったようで身体をのけぞらせる。俺も葡萄と手ぬぐいをもっていて、バランスをくずすが手首を捕まれささえられる。
しかし、なぜか体ごと引き寄せられ、どういうわけか俺は今真昼様の胸の中にいた。
「俺が驚かせたせいだ。すまない。」
傾いた体を真昼様の体からすぐ立て直すが、真昼様は無言でつかまれた手首を離してくれない。
不意に触ったことを怒ってるのか?
「婚姻するならこれくらいでおどろくな」
軽口をいってその場を納めようとするが、腕を引っ込めようとするがうごかない。
むすっとしていた気がしたが、
「そのまま汗を・・・拭いていただけますか?」
そういって手首の強い力が緩められたので内心ほっとして、「あぁ」と返事をし、手首はつかまれたまま誘導され、首筋や頬をふく。
怒ってるのじゃないみたいだ。
現に真昼様は目を閉じ気持ちよさそうだ。
「朱夏様いい香りがしますね。」
「俺が仙湖に咲く仙草の花を香にして焚き染めたのだ。俺も好きな香りなんだ。」
「・・・あのときもこのいい香りがした。」
そういうとそっと目を開けて色っぽい流し目をこちらに向けわらいかけた。
「あのときって?なんだよ?」
手首の脈があがっていく。顔なんて真っ赤だろう。これじゃ真昼様にわかってしまう。手を引っ込めたいが、手首を痛めないが自由にうごかせない微妙な強さでもたれていて身動きが取れない。
「手を、はなして、くれ」
そういったにも関わらず真昼様は俺のほほに片手を添えて、ゆっくり真昼様の方を向けられる。
俺の手を自分の唇まで持ってきてそのまま口づけする。
「昔の話です。」
口づけされたところが火傷しそうだ。
「こんなことして、真昼様に何の得がある?」
恥ずかしくて、叫び、握られた手で真昼様の頬を打つ。
こぎみよい音があたりに響いた。
「真昼様にとって男慣れしてない者が珍しいのだろうが俺の気持ちをもてあそばないでほしい。」
真昼様は平手うちされたことを特に気にもとめていないようだ。
「へぇ、朱夏様は私に弄ばされている?」
「ちがうか?さっきから無駄に胸をくるしめられてる。初恋だといってみたり、頭をなでたり、手首をつかんだり。あげくに手といえど、キスするなんて。遊ぶだけならやめてくれ。俺と約束したはずだ。真昼様は俺を穢さない、父上と母上をたすけるかわりに当主になると。」
真昼様はその口元をゆがめくすくす笑う。
「恐れ多くも朱夏様をもてあそんだりしません。先ほどご自身で言っていたではありませんか。婚姻するのだからこれぐらいのことで驚くな、と。」
そう言われると腹立たしいやら、はずかしいやら。
俺だけ意識しているみたいじゃないか
「真昼様は本当に鋼鉄の男なのか?」
「鋼鉄の男?」
「何事にも冷静沈着で笑わぬ、話さぬ、特に女子には徹底しているとな。」
言っていて冷たい視線がこちらに向いているのがわかる。
「朱夏様ともあろう方が、そのような侍女たちの言葉に耳をかたむけるとは」
ふうーと、ため息をついて呆れたようにいうと、
「葡萄たべたらいきますよ」
と、眼鏡をあげた。


汗ばんでいた上着を着替えて休憩を終えた俺たちは一路王都へむかう。
途中霧が濃くなって早さが出せない。前を走る真昼様がのお姿もあまり見えないがどうやら、真昼様は馬の足をゆるめている。
俺も緩め真昼様の隣をあるかせる。

「朱夏様はおなかへりませんか?」
「すこしな。でもこれぐらいであれば耐えられる。」
真昼様は俺のほほに手を置いたままくすくすと笑って肩を揺らした。
「摘まみ食いしてましたもんね。私は腹が減ったので王都でなにか食べます」
「へ?王都?」
真昼様は背嚢から双眼鏡を取り出す。
眼鏡にあたって邪魔そうだが、その双眸はまっすぐ前を向く。
「朱夏様、みてみますか?」
双眼鏡をのぞく。朝靄にけむる王都の象徴、神殿の美しい細工がみえた。
「王都だ!」
「そうです。王都はもうすぐです。王都は朝市が立っている時間ですのでなにか食べて神殿に向かいましょう。」
「その前に朱夏さまの朱の目は目立ちます。この目薬を差していきましょう。」
真昼様が持っていたのは一日だけ目の色が変わるといわれている薬草の汁を煎じて濾したものらしい。
「王都で流行しているそうです。とび色の目が黒くなったり、緑になったり。」
「妙なものが流行するものだ。」
おそるおろるこの目薬を差す。
「どう変わった?」
俺が振り向いて真昼様を見上げると、真昼様はふいをつかれたようで、驚いて眼鏡をあげる。
「宝石のようです。」
・・・いちいちどきどきさせて、どういうつもりなんだか。

遠くから見ると朝霧の中にたたずむ白亜の神殿とその後ろに黄金に輝く豪奢な王宮がそびえたっていて幻想的であったが王都の門はさほど大きなものでもなかった。武具を携えた兵が門の左右と王都を取り囲む塀の上にたたずんでいるのが数人みえた。皆弓矢を装備している。
この門は王都に通じる門の中でも大江山に近接しており、大江山こえると広がる砂漠にすむテグル族や砂漠の向こうの異国と通じる貿易の要であるため警備も厳重だそうだが、皆本一門の門番たちとさほど変わらないようにみえた。
俺たちは馬から降りて手綱を引き真昼様が門兵に手形を見せて王都に入ると広い道の左右に小さな家がありその家の前で野菜や果物、豆、ウサギや鳥、見たことのないけむくじゃらの動物や鳥は檻に入れ、馬や牛、ヤギや羊を並べ大声で叫んでいるのが聞こえる。みたことがなかったがどうやらそこが市場というものらしかった。
「真昼様、あの牛の隣で檻に入っている動物はなんだろう?」
「あれは彩猿という南国の動物です。頭に黄色の毛が生えているのが雌、青い毛が生えている方が雄でとてもおとなしい性格だそうです。南国の果物をよく食べるそうです。」
「真昼様、あの魚は?水色で赤茶の線がはいっているぞ」
「海にいる魚です。身は蛋白で蒸してもおいしいそうですが、蒸加減が難しいそうです。」
真昼様は何を聞いても面倒がらず答えてくれ、その細部にいたる説明には感嘆せずにはいられない。
大通りにひらかれた市場は活気があり、新鮮な野菜や果物、山育ちの私には珍しい魚も売られていている。
薄く妙な香の香りがするがそれですらこの町が色づくため必要なんだと思えてくる。
子供たちは駆けまわって爆竹を鳴らし、紫や黄色などいろんな色の煙がそこかしこで上がっている。
そういえば貞女が今は祭りの季節だと言っていたことを思い出した。
「今日は祭りか?子供たちが騒ぎまわっているが」
子供たちは俺たちにぶつかる寸前のように大人の足元をすり抜けていく。大人たちはそれが普通であるのだろう、何も気に留めてはいない。
「いえ、今日はまだですがあと一週間後に秋月祭です。王都では月と太陽を神聖視していて、秋月祭は月を祭るのです。神殿では鬼が薬草を杵でつく行事が行われ、薬草入りの餅を民に配ります。」