胸にいつもより強くさらしを巻く。
最近は本当に苦しくなってきた。
貞女はそれをみるたびに「あぁ本当ならばそんなにもきつく縛り上げなくてもよいのに…」と嘆きながらもそれを緩めることはしてくれない。
たしかに男だとわかったら俺が穢されるということなら貞女としてはきつく縛り上げないわけにはいかないだろう。先週そのことを知ってから、この締め付けも貞女の愛だとおもうと、いとおしい。
ただ、真昼様に口止めされているためニヤニヤしてしまうだけだ。
「どうされたんですか?ニヤニヤわらって。」
「いやなんでもない。」
貞女はさらしをまたぎゅっときつく結ぶ。
「朱夏様が真昼様御付きの研究生になられるなんて夢のようです。このまま研究部の馬小屋の掃除係になってしまうのではないかと気が気ではありませんでした。」
貞女の言うとおり、先週から真昼様の部屋であの話を聞き、馬小屋の掃除と並行して実験のまとめや手伝いをしていたら真昼様付きの、という条件のもとではあるが、研究部門の研究生として働くことになった。
立場的には研究部門の下っ端だがどこにも配属されていないよりはずっと良い。
「なんだ、貞女が言い出したんだろ?俺に罰を与えろと、綱兄上に迫っていたではないか。」
「はい、それは、皆本一門のしきたりですから。しかし、結果的には真昼様に目を止めていただけたので良かったではありませんか。やはり良いご縁は続いているのですね。」
貞女はさらしを巻き終わって上着を手にとり、俺の肩にかけた。
「ご縁とは何のことだ?真昼様と俺に何か関係が?」
貞女ははっとした表情で口をつぐむと帯を結ぶ。
「あのまま、聖夜兄様がいきていれば…。あ、私としたことが。どうかお忘れ下さい。」
そういって話を逸らすように、
「女子に戻りたい、と泣かれたこともございましたね。わたくしも心を鬼にして朱夏様を押しとどめて・・。申し訳ございません。急に涙が」
言って、なにか思い出したように、肩をふるわせる。
俺もその小さくなった肩を抱いた。
俺を当主になるための駒としか考えでないような真昼様と婚姻することをいったらどんな顔をするだろう。
俺も申し訳なくなって貞女の肩を抱きながらないた。
**
「それにしても今日は一段と出発が早いのですね。」
涙声の貞女は自分の涙をさっと拭き、私の涙をふいてくれる。
「真昼様だけが持っていくことが許される貴重な薬を卸しに行くのだそうだ。どうやら極秘任務らしく屋敷の者にもあまり気づかれずいきたいらしいからな。」
「まぁ、そんな大事なお役目に朱夏様をご同行されるのですか?」
「・・あぁ、まあな。」
それは半分本当で半分嘘である。
極秘任務というのは本当で手形は真昼様のもの1枚だけしか発行してもらえない。
麗星国では15才になればだれでも婚姻できるがおれはまだ14才。15才の誕生日に確実に婚姻成立をさせるため婚約することにした。婚約しておけば15才の誕生日に戸籍が移動される。そのために極秘で王都に向かわねばならないため俺の手形が必要だが発行すると朝陽叔父上に動向がわかってしまうおそれがある。
ならば、この極秘任務を利用し、俺は荷物に隠れてこっそり屋敷を抜け出すのが得策だと真昼様をしぶしぶ説得した経緯がある。
しかしそんなことを貞女に言えば必ず引き止められるだろう。
「王都は祭りの時期かもしれませんから、くれぐれもお気をつけて」
貞女に用意してもらった灰緑色の馬掛け用の下衣をはいて下衣がだぶつかないように腰と膝のひもを結ぶ。
「あぁ、母上がおっしゃっておられた。」
母上が馬小屋にいらしたときに「王都はちょうど花の祭りで白酒の花が町中に飾られてて美しかったわね。」と言っていたのをふと思い出し「きをつける」と、静かにうなずいた。
**

真昼様の乗る馬と俺の馬に薬を運ぶため鞍をつける。蹄鉄は数日前から頑丈なものに変えておいた。
野営をする場合などはもっと重装備になるのだが今回は王都に薬を卸しに行くだけだから身軽である。
それでも簡易食料や水、金銭などこまごましたものを用意していると、結構な重さになるためできるだけ荷物を減らす。帰りは暗くなるだろうと思ったのだが、灯りの装備ははずし、暗くなる前に帰ってくることにした。
いつもは着物に袴姿の真昼様が今日は馬掛け用の下衣をつけて、颯爽と馬にまたがる。
腹違いとはいえさすが朝陽叔父上の弟だ。
その男ぶりの良さに、ついつい見惚れてしまいそうで自分を戒める。
真昼様に気を許してはならない。
真昼様は自分が当主になるための駒としか思っていない。
そんな人間に心を寄せても良いことはない。
そう思っても目で追ってしまっていた。
そんなことを考えていたら真昼様は軽装備の門番に許可手形を見せて扉を開けてもらっているようだ。
ようだ、というのは俺は真昼様の外套の下に隠れている。
いつも家を抜け出すときはこっそり抜け出してこっそり帰ってくるが、今日は堂々と門番に頭を下げられながら門から出られることに優越感を感じ馬にゆられ外に出た。
静かに見送られると、後ろでぎぃっと門が閉まる音がした。
その音を聞いてから数刻いった山道で俺は真昼様の背中から降りて、隣の馬にまたがる。
真昼様はちらりとこちらを見てからまっすぐ前を向く。
「朱夏様、お分かりかと思いますが、我々は物見遊山に行くのではありません。馬の鞍についているのは皆本一門が機密であり、財産。」
「はい。わかっています。真昼様の極秘任務ですし私たちの婚約もありますし。」
真昼様は顔を少し赤くした気がした。
気のせいか?この鋼鉄の男が感情を露わにすることなどあるのだろうか。
俺の言には答えず咳払いをして続ける。
「山賊などに襲われることがあるかもしれませんが、その時は全速力で逃げてください。」
「え?真昼様は?」
真昼様は前を向いたまま飾りのついた腰差しを片手で握る。
「わたくしは戦います。しかし朱夏様は・・・」
「俺も戦います。剣や体術は登紀子姉様に教えてもらっています。並みの男やクマに負けない自信がある。」
まっすぐ向いていた顔が不機嫌そうにこちらを向く。
「訓練と実践を一緒にしたり、相手を並みの男だと侮ってはいけません。あなたは女なのです。殺されますよ。」
その冷ややかな目線に恐れおののく。
「・・・・・」
「わかりましたね」
そう念を押されて朱夏はうなずくしかなかった。
「それから王都にあるものをむやみに持って帰ってはいけません。皆本の規律に反する場合があります。」
「真昼様は焼き菓子を買って帰るのに。」
見間違いだろうか、いつも冷静沈着な真昼様はすこし顔を赤らめたように見えた。
「・・・それは・・その、贈り物ですよ…」
いつも冷静に論破する真昼様が言いよどんで、眼鏡の縁をさわって落ち着かない様子もなかなか見られるものではない。内心面白くて大笑いしたいところだがぐっと我慢してさらに突っ込む。
「へぇ、どこの女子ですか?」
「なぜ女子だと!!そんなこと一言も言ってないでしょう!」
先ほどよりさらにうろたえ、声が大きくなっている。なんて面白い方だ。
「焼き菓子を贈り物にしても男は喜ばないでしょう?真昼様に見初めてもらうなんて、侍女たちが騒ぐでしょうね。」
俺が真昼様の顔をのぞき込むと眼鏡を触っていた手を額に当て、あきらめたように天を仰ぎ見る。
「初恋の人に、です。」
「え?」
予想もしなかった言葉に今度は俺がうろたえる番だった。
「そんな人がいたんですね」
そうとしか、言えなかった。
「そんな人に買ってきた物を食べてよかったのか?」
今更ながらに申し訳なくなる。
「幼いころ、焼き菓子を並べて一緒に遊んだのです。」
そういって、俺からじっと目線をはずさない。
言葉が継げなくてそのまま見つめ合うような形になった。
「そうでしたか。そんな方がいらしたのに俺と婚約などしてよいのですか?」
「朱夏様です。」
「は?」
聞き間違い?言い間違い?
俺は間の抜けた顔になっているだろう。
「だから、初恋の人は朱夏様です。」
そういってから、真昼様は耳まであかくなる。
これが本当に鋼鉄の男?
俺をずっと無視し続けていたのに。
「朱夏様はわたくしと婚姻することを承諾しておきながら、わたくしが他の女子を好いていてもかまわなかったのですか?」
「あ、あぁ、だって、ほら、真昼様との婚姻は朝陽叔父上を欺く策略みたいなものだから・・・真昼様のお心までもらえるなど思ってない。」
今度は俺がしどろもどろになる。真昼様は頬はまだ赤く、朝靄が立ち込める森の中に不釣り合いだった。