つぎの日はさすがに用心したが作業を再開した。
孤独な作業や打ちのめされそうなことあっても大江山にたたずむ霊木をみていると心がやすまった。
数日、数週間、数か月。
暑い日もあったし、寒い日も、風が吹いて散布液が自分にかかってしまい、春女がせっかく用意したであろう服が錆色に変色した。
手を止めることは出来なかった。
冬児様に、そして天国にいる母上や貞女、真昼様にみせなければならないからだ。
いくつかの季節が過ぎた。

目の上の傷は治った。
しかし、物を投げつけられるのが怖いのと万が一顔を見られてはならないと思い思案に暮れた。
パオの中には古い道具が納めてある大きな飾り箱がある。
その中には春女が私の為に古着屋から購入したのか、同じように隠れ住むテグル族の女性から貰った着物が数点、昔のテグル族の祭祀道具や幼子をあやすために使ったであろう絵本やおもちゃの人形が数点納められていた。
その玩具の中に朱色のお面が入っていた。
目の部分だけ空いていて後はのっぺらぼうにでも見えそうだ。
私はこの日から仮面をつけるようになった。
ついでに茎葉処理剤を撒く為の服もこの中の着物にすれば私のことは誰だかわからないだろう。
白い着物を着ていたが、処理剤がかかったりするうち着物は劣化し朱色に変化してきた。
いつしか髪もうつくしくのび、外見は石をぶつけられたような時とは別人になっていた。
しかし朱色の仮面のせいか処理剤のついた着物が朱色のせいか、鬼気迫る私の雰囲気によるのか、最初よりよほど鬼に見えるらしい。
数回王都の人間に遭遇したが、鬼と間違われたが前のように石をぶつけられることはなくただみんな逃げていった。
噂が噂を呼び今では「白酒の森の朱天童子」「鬼」「鬼神」とあだ名され、皆近づいても来なくなっていた。
テグル族を作った朱天童子様になぞらえられるのは申し訳なく、かといって鬼と言われるのはやはり傷つく。
王都の民を助けるための仕事。
だから私の周りには誰もいなくて良い。
私のことをわかってくれる人はいる。
冬児様も父上もそれぞれの仕事で戦っておられる。
私も今できることをやるだけだ。
その気持ちが朱夏を前へ前へと向けていた。
つつましく続けてきた作業は裏切らない。朱夏の目の前に人がる白酒の森は半分ほどになっていた。
「ようやく半分か。」
しかし、朱夏は悦に入って白酒の花の森をみわたす。
冬児様はまだ命を保たせている。
白酒の花の枯れた景色を見せたい。
「今日も始めるか。」
そう思って散布しはじめて数刻したころ、不穏な空気に取り囲まれたことに気付いた。
「誰だ」
静かにつぶやいて見回すとこんな夜中に行灯も持たずにわたしを取り囲んでいる男が3人いることが分かった。
うち1人は何の趣向か恐ろしげな黒い半面をつけて、手を組んでいる。半面には体の中でも致命傷になりやすい目から鼻までを守り、指示を出しやすいように口元は遮らないという戦争の為の機能を有した武具である。
しかも黒く厳つい甲冑の素材で作られた半面には相手を萎縮させるためか、鬼のような角が二本ついていた。
「…目が朱色。こいつか。」
品定めするように私の上下を確認するが相手の目は見えない。これも戦術上重要なのだろう。
「お主か。王都で噂の朱天童子らしいな。白酒の森を荒らすという」
王都で朱天童子と呼ばれているのか。
朱天童子様はテグル族の始祖と呼ばれる鬼神の名。
朱夏は偶然といえども恐ろしく感じた。
「」
背丈は高く身体も華奢ではない。声も低く鬼の面の下の喉仏が出ているから鬼の面をつけた者は男だろう。
黒い鬼の半面の男は男二人を引き連れているものの、護衛らしき男二人はは恐ろしさに震えているようだ。
当然だ。彼らは噂の「白酒の森の朱天童子」と対面しているのだから。

黒い鬼の半面をつけた男の表情はみえないが口元をニヤニヤさせ、ずっと腕組みをしたままこちらを品定めするようにみている。
暗がりであること、口元だけでの判別は難しいが声や口調、体格からして年のころは20歳前後といったところ。
真昼様が生きていたら…きっとこんな年齢だろう。
しかし、真昼様はこんな嫌ったらしいことはしない。
護衛2人を引き連れて、自分は手を汚さず、私をなぶり殺しにでもする気だ。
私は腹が立ってぎりっと唇をかむと護衛たちは腰から剣を抜いた。
未知のものと遭遇させられる恐怖たるやすさまじいものがあるのだろう、こちらが同情しそうなほど震えている。
私は脅かすために近くの木の太めの枝を片手で折った。
幹の部分が枯れてきていたため誰でも簡単に折れるが、恐怖は正常な判断を鈍らせることを身をもって体験していた私は怖がらせるためにもその枝を無言で振り上げる。
護衛たちと仮面の奥で目が合った。そのとき、
「わぁーーー!鬼神様お助けを!」
「朱天童子様討伐を指示したのはここにおられる第8皇子です!」
刀を振りかぶった護衛たちは叫んで蜘蛛の子を散らすように駆け出した。
「お、おい。まて、二人とも!それでも私の護衛か!」
逃げる二人の背を振り返った第8皇子とやらは私に背後を見せる。
目の前にいるのはこの国の皇子なのだろうか?
やおら信じられない。


私は手に持った大枝を第3皇子の首元に突き付けた。
「お、おい。なんとする!?私は麗星国第3皇子、鬼切丸!おまえのような下賤の者が俺の血を流せばどうなるかわかっているのか!」
叫びだした第3皇子に答える気はない。
声を知られては面倒だ。
第3皇子に大枝の刃はあまりに恐ろしかったらしい。
腰の刀を抜いてはいるが貧弱なシカのようによろよろと立っていてた。
さっきは私をなぶり殺しにしようとしてきたため腹が立ったが、今は護衛にすら見捨てられた哀れな皇子。
それなのに勇気を振り絞って良くたっているな、と感心した。
「消え失せろ!」
ひとこと言って大枝を第3皇子の足元に叩き落すと、思った通りその場に腰を抜かしていた。
もう何も言ってこないだろう。
そう思っていると後ろからなけなしの声を振り絞った声がした。
「ふざけるな、俺と戦え!腰抜けが!」
目じりに涙を浮かべて、腰を抜かしてさけぶ子供を相手にするのも面倒だと思い、短く嘆息して、違う場所の白酒の木を枯らそうと第3皇子に背を向けた。
一歩踏み出すと後ろから声がした。
「お主など鬼でなくウサギだ!その角はうさぎの耳だろう!鬼切丸様の敵ではない。次会ったときは心せよ!」
はっきり負け惜しみとわかるそれは、しかし、真実をついていて、鬼と呼ばれるよりはうれしくて、つい笑いそうだ。

***
あくる日もその次の日も白酒の花の森に第3皇子は現れた。
今度は護衛をつけず、一人きりでだ。
しかし相変わらず威勢はいいのだが、いかんせん腰を抜かしているため戦う気がでない。
「ここはわれらが麗星国国王の管理地だ。そして第3皇子であるよそ者は即刻でていけ。」
「鬼切丸と勝負しろ。名を名乗れ!なのらぬならばウサギとよぶぞ。」
私は答えない。
そのせいか鬼切丸は不思議なものを見るように黙って私のことを見ているようになった。
その代わりに目の前で白酒の花を枯らして見せる。。
知らないものは鬼神の力で白酒の花の命を操り、枯らしているように見えるのだろう。

「お前は人語が操れる鬼なのだろう?ならば答えよ。なぜ白酒の花を枯らし続けるのか。」
こたえる義務はない。
しかしこの子供がこの国の第3皇子であるなら白酒の花の毒を止めることができるんだろうか。


いつものように朝、朱天楼の扉を開ける。いつものように数刻寝れば眠気は吹き飛んではいたが、昨日少し楽しかったような余韻が体には残っていてすこし気だるい気がした。
「おはよう、朱夏。」
まずは秋良が声をかけてくる。
「おはよう!」
手が空いていれば春女は私を抱きしめてくる。今日は手が空いていたらしくぎゅーっとだきしめられた。
「おはよ、秋良、貞女。」
春女の細い体が私に巻き付く。
「ちょっと、朱夏、また細くなってるわよ。食べる量がすくないんじゃない?」
「なんだと、本当だ。腕が細くなっている。」
ふいに秋良に二の腕をつかまれる。
「やだな、二人とも。朱天楼のご飯はおいしいから食べ過ぎてるくらいだよ。細くなったのは最近背が伸びたせいじゃないかな。」
たしかに夜出歩いて白酒の花を枯らしている時間が長くなったり、朱天楼で働く時間を増やしてもらっているせいでよく動くわりに食べていなかったかもしれない。
しかしそんなことを2人に言うことはできないので、ごまかしたが2人とも怪しんだ眼でこちらを見ている。
「そう、背は伸びたわね。髪も栗毛も美しくて・・・。」
春女は私の髪をするするとなでる。確かに最近春女が同じ目線にいる。
秋良は体が大きいから追いつけないけれど、春女は追い越せそうだ。
「朱夏は座れ。」
そういって、秋良は大なべに入った鶏肉のスープを持ってくる。
「これ店でだすスープじゃない。」
おどろいて声にだすと、
「従業員が痩せているような店で食べようとは思わないだろう。ほら食え。」
と大きなお椀に鶏肉をたくさんついでくれる。
確かにな、と思いお椀に匙を入れるが、