腹も満たされ落ち着いて考える。
俺以外の3人はあの甘酸っぱいお茶を飲んでいた。
朝日かと思っていた光は西日だったようで、今日最後の光をパオに届けて太陽は沈んでいった。
起きたばかりの時はまだ熱もあったらしく体が熱かったが太陽が沈むと途端に寒くなる。

秋良は先ほどの食器を汲み置きの水で洗っており、父上は実験帳を開いて何かを考えている。
春女はパオに灯りをともし、俺の肩に動物の毛でおられた毛布を掛け、何故かパオの外へと出て行った。
俺は春女の背中を見ながら考える。
ふっと、春女の背中が小さな母上の背中にかさなり、そこに切りかかっていく真昼様のお姿が瞼に浮かび、息をのんだ。
真昼様は俺のことを好きなことに嘘はないとわかった。
ならば、なぜ、母上と貞女を手にかけたのだろう。
決して悪い関係ではなかったはずだ。
「朱夏様はお逃げください。」
ふと真昼様が別れ際に言った言葉を思い出した。
そういって下男に刀を向けていた真昼様の悲しそうな目も思い出す。

逡巡しながらある可能性にたどり着く。
そんな。

「父上、白酒の花の解毒ができていてももう一度白酒の毒にかかってしまうことはありますか?」
考えついた可能性は朱夏にはあまりに酷だった。
父上には俺の考えを否定してほしかったが、一番聞きたくない言葉だった。
「もちろんだ。しかし、その者の予後は芳しくない。」
「どういうことですか。」
父上の言葉を聞いて瞬時に背中に冷や汗が走る。
「一度でも中毒になれば体内で白酒の花の抗体ができる。二度目の白酒の花の毒は体に回るのが早く、毒が抜けにくい。運よく解毒できても数日かけて体力を消耗して死に至る。生命力のあるネズミの実験ですらそうだった。だから麗星の中毒患者にも慎重に対処していかなければと思っている。普通の人間は助からない。」

朱夏は父の言葉を最後まで聞くことなく、涙があふれていた。泣き崩れた。
毒に侵されて、愛する人たちを自分の手で傷つけなければならなかった無念はいかほどか。
そして体力を消耗していき、果てには…嫌だ、考えたくない。朱夏はあたまを横にぶんぶんとふったが、悪い想像は頭から離れてくれない。
「真昼様・・・。」
冷酷な叔父上はしっていたのだろう。
何をさせれば真昼様が一番傷つくか。
真昼様の内面までも傷つけて、人格の一片をも残さないような白酒の花の中毒にして・・・殺した。

突然泣き出したものだから、父上はどうしていいかわからない様子でおろおろしている。
「どうした、朱夏。」
秋良も泣いている俺にどうしていいかわからないみたいだ。
「大丈夫か?真昼がどうしたってんだ?」
春女がパオの布を開き外から帰ってきた。
「どうしたの?朱夏はなんで泣いてるの?」
口に出してしまったら本当になる気がして秋良と春女の問いには答えられず、春女とともに風がふわりと、仙草の香りを運んできたのを呆然と見ていた。

「・・・春女、仙草の香りがする?」
俺は涙をぬぐいながら春女の入ってきた方向を見た。
いつもは石で押さえておく布がひらりと舞い上がり、偶然ではないかのように2つの石塔があらわになる。
仙草はその前に積んであった。
先ほどと様子が違うことに春女は焦ったように肩を揺らす。
「どうしたの?朱夏。」
俺は今度も問いには答えない。
「・・・・なんでルナカムイに仙草があんなに大量にあるのですか?」
心配する3人は顔を見合わせた。
父上が口を開く。
「朱夏は感がいい。・・・もう、黙っているわけにはいかないだろう。」
父上は冷たい表情で遠くを見つめた。
「朱夏が、回復してから見せようと思っていたんだが井戸から仙草に守られた朱夏と他に女性二人の遺体が上がった。」
「それはもしや!?」
父上は一つうなずいた。
「朱夏が寝ている間に荼毘に付した。」
私ははらはらと涙が落ちるのをとめられなかった。
「母上と貞女ですよね」
父上がまた一つうなずく。
きっと罪人として遺体を湖に捨てられたのだろう。俺は寝床を抜け出してはだしのまま駆け出した。
「おい、朱夏、待ちなさい。」
パオの外は寒風吹きすさぶ荒野だった。
小さな石をいくつもつみあげた石塔が目の前にあるが自分の涙でぼやけて見えない。
俺は足元からふらふらと崩れ落ちそれを後から追ってきた秋良が支えが振りほどいて石塔に縋りつく。
「こんなに小さくなられて・・。母上も貞女も死んでなお、俺を守ってくれていたんですね。」
石塔を抱えて泣いた。石塔には先ほど春女が置いたのだろう、水が2杯置かれていた。
いっしょに運ばれてきた仙草が石塔近くの物干しに結わえ付けられ、ルナカムイの乾いた風により乾燥し始めているらしく、乾いた音を立てた。
父上が俺の隣に腰を下ろし石塔を愛しそうになでた。
「お前が泣くことはないんだ。二人とも使命を果たした。律儀に私に顔を見せに来てくれたんだ。」
父上も涙を拭う。
「みんな、みんな死んでしまった。俺だけ生き残ってしまった。」
そのまま父上は俺の悲しみをいやすように抱きしめた。
「真昼様、真昼様・・・!」
****
また体に障るから、と春女に言われて、強引にパオにもどらされた。
乱れたままの呼吸をどうにか落ち着かせて、寝床に入られる。
「朱夏、どうしたんだ?真昼になにが・・・」
秋良に聞かれて遮るように答える。
「殺されているかもしれない。」
それは俺の願いが含まれていた。生きていてほしい。
しかし、父上の話ではもう命は助かっていないだろう。
余りに衝撃的だったのか、水を打ったように静かになった。
俺はぽつぽつと、父上がいなかった10年の間に起きたことや白酒の花の毒を自力で解毒した真昼様のこと、そして再度白酒の毒におかされた真昼様の凶荒、湖に飛び込んで助かったことをかいつまんでみんなに伝える。
3人とも神妙な面持ちできき、長い話になったが俺が話し終わるころには涙を流していた。
沈黙する3人の口火を切ったのは春女さんだった。
「ゆるせないわね、皆本朝陽。小春をてごめにして、貞女さんをもなぶり殺しにした。」

「あぁ、真昼は、あいつは頭が良くて真っ直ぐなんだ。庶子だって差別受けても留学して、朝陽をなんとか止めようと手立てを講じていた。なんであいつが白酒の花の毒で死ななきゃならないんだ。」
秋良が苛立って床を殴る。
みんなの怒りが同じ方向を向いていた。
「朱夏が帰ってきてくれてよかった。」
春女は俺をきつく抱いた。俺は心を無くしたように焦点が定まらない
「これからも朝陽が朱夏に手を出してきたら、ただですます気はない。朱夏は安心してここで暮らすんだ。」
秋良の有無を言わさない強い口調も何も届かない。
「なんで、こんなことに。もともとは一つの民族だったというのに。」
父上は俺の頭をやさしくなでる。
「しっているか?皆本はテグル族だったといわれているんだ。」
秋良が口を開く。
「え…?」
そんなことは初耳だった。
「王都の秋月祭をしっているか?」
驚きを隠せないままの俺に秋良は語り掛ける。
「それは真昼様に伺った。おとぎ話も。でも、皆本もテグル族も同民族なんてそんな話は聞いてない。」
ほんの数日前のことだ。
生命のみなぎる都市、王都の喧騒の中語ってくれた、祭りの起源の話。
真昼様の落ち着いた声で紡がれるおとぎ話。
「あれはおとぎ話じゃない。」
秋良は俺の心を覗いたように言った。
「あの話で神殿に使役されていた鬼というのはテグル族だ。ウサギと鬼が連れだって月に向かったというのは、ウサギと数人のテグル族がルナカムイから離れたことを意味している。流浪の民になったテグル族と大江山で定住を望んだテグル族、2つに分かれ互いに協力しながら暮らしていた。」
皆本はてっきり麗星国を作った民族だと思っていた。
「その証拠に、疱瘡病にかかるのはテグル族だけなんだが、皆本の者も罹患する。遺伝的に疱瘡病に弱い。ほかにもウサギの心の声が聞こえるのも特徴だ。」
疱瘡病に遺伝的要素があるのはなんとなく理解できるが、ウサギの声は誰にでも聞こえると思っていた。
「ウサギの声は皆に聞こえるわけではないのですか?」
「テグル族だけだ。白酒の花の香がないと麗星国の者にはウサギの声は聞こえない。聖夜さんも冬児様の声が聞こえただろう?」
秋良の言葉を頷きながらきく。
そういえば真昼様も普通に冬児様と話していた。
テグル族の証だったんだ。
今更何を知っても遅すぎた。
「貞女はお前を当主にしてテグル族が統一されればいいのに、っていってたな。」
父上がくちをはさむ。
「テグル族の統一か。遠い夢だ。」
俺は春女さんの腕の囲いからでる。
「…俺はもう何もいらない。叔父上も皆本も。何も考えない場所で母上や貞女、真昼様を弔って生きていきたい。」

「さぁ、朱夏。考えすぎは体に毒よ。早く寝てちょうだい」
俺は春女さんにあやされるように寝床にはいった。
もう、なんの夢も見なかった。