秋良は悲しそうにつぶやいた。
「テグル族は流浪を禁じられかつて住んでいたルナカムイに住むよう命じられた。馬鹿な話さ。太古の昔、ルナカムイが恵み多い大江山の一部だったころの話を持ち出しやがって。麗星国の者が王都にするためにテグル族から奪い砂漠にした場所に今度は住めという。」
「ここに太古の昔、ご先祖様たちが住んでいたのか。」
「そうだ、美しく鬼神のごとき力を持っていたとされる、朱天童子様の末裔たちの暮らす場所だった。」
「だから、鬼の遊ぶ庭か。」
ルナカムイが草木生い茂る大江山の一部だったことは信じがたいかったが、秋良が適当な話をしているようにも見えなかった。
「それにしても、皆本はなぜ助けてくれなかったのだ?テグル族から薬草が手に入らなければ薬が作れないだろうに。」
秋良は言いにくそうに口をつぐんだ。
「皆本はテグル族からある要求を受けた。その要求を受け入れれば、秘密裏に今まで同様、薬の材料を取引すると。」
代わりにいままで黙っていた父上が険しい表情で口を開く。
「要求?」
俺が怪訝な顔をすると父上は
「神殿にとらわれたウサギをたすけて育ててほしいと。」
と続けた。
「俺と冬児様ですか?」
父上はうなずく。
「俺は薬材の代わり・・?本当に俺のことは何とも思ってなかったんだ。」
嫌われてるばかりではなく、薬材の代わりだと思われていたなんてバカにしている。
「ちがう!」
父上は俺の言葉に反応して強く否定する。
「よく聞け。何を考えてるか知らないが、あのころ・・・わたしと小春は結婚したばかり。小春は故郷のテグル族が襲撃を受け、妹や弟の安否もわからないまま暗い日々を過ごしていた。小春本人も出身がテグル族というだけで、麗星国からにらまれないよう皆本から追い出そうとする勢力も存在した。しかし、私にはどうしようもなかった。皆本の外に知り合いはおらず、研究ばかりしていて外交をどうしていいかわからなかったのだ。」
父上は素晴らしい聖者だったと聞き及んでいた。
新薬を開発し、臣下をまとめ皆本を率いていたと。
しかし目の前にいるのは麗星国に屈し、皆本の重臣たちから妻の身も守れないほど非常に弱弱しい一人の男だった。父上は聖者の仮面を被っていたのだ。
「どうにかしてやりたいと思っていたときテグル族から申し出があったのだ。私たちは喜んで引き受けた。小春がいるからこそ薬材を取引できるということなら、小春の皆本での立場も守れる。テグル族というそれに要求がほかならぬ、お前と冬児を育てることだったから。」
どういう意味か分からずに怪訝な顔をしているのを察したのだろう。父上は続ける。
「朱夏と冬児二人は小春の妹と弟なんだ。」
「・・・え!?」
「そうなんです。」
春女さんが人数分の粥を器に入れて木の板に乗せ、持ってきていった。
「私もここにいる秋良も小春の妹と弟。私たちは5人兄弟姉妹なんです。」
俺は秋良と春女さんを交互にみつめる。目を丸くするってこのことだ。
「ほんとに?」
「こんなときに嘘言ってどうする。俺たちは親を亡くした。お前たちを育てる術もないまま、お前たちは神殿に連れていかれた。小春しかいなかった。小春なら朱夏と冬児様の素性を隠して生かしておけると思ったし、聖夜さんも快く協力してくれた。俺たちは神殿に乗り込んで2人をみつけたが、2人は劣悪な状況で育てられ、2人とも疱瘡病を患っていた。冬児様の小さい体から筋肉が解け始めていた。助かりようもない自分は神殿に残り朱夏の盾になるといい、朱夏だけ連れ出すことに成功した。聖夜さんは冬児様にそのときもっていた疱瘡病の薬を手渡したんだ。きっとそのおかげで命を長らえた。」
秋良は自分の幼いころの無力さを思い出したように苦々しい顔になった。
「テグル族というだけで皆本での立場も危ういだろうに、これ以上迷惑をかけたくなかったが、小春は、頼ってくれてありがとうと言って、うれしそうに迎えに行ってくれた。小春も皆本に味方がほしかったんだろうとおもった。」
父上はつらそうにうなずいた。
「朱夏とテグル族の乳母を見つけて秘密裏に皆本に連れ帰った。乳母は碓氷の庶子に養子にしてもらった。それが貞女だ。」
たしかに乳母という名目で皆本に従事する場合、臣下の養子になる場合が多い。皆本の中で乳母が都合よく見つからない時が多いからだ。
「貞女もテグル族だったのか。俺は皆本の屋敷で育ったけど、テグル族が育ててくれてたんだな。母上は堕胎薬や不妊薬までのんで。母上は俺のことが嫌いだったのになぜ自分の命を削るような薬を飲んでたのだろう。」
母上のことを考えると胸が痛い。ふと、疑問が口をついていた。
「さっきから何をバカなことを。この世で本当の母親のように朱夏を愛したのは小春だ。」
父上は吐き捨てるように言った。
俺はその言葉を信用できない。
だって、実際俺のことが見えていなかったんだから。
何とも説明のつかないこの気持ちを押さえつけることもできなかったため、無意識ににらんでいたのだろう。春女さんは何も言わずただ黙って悔やんでいるように顔を背けた。
「わたくしなのです。」
話しながら急に片手で口を押えて泣き始める。
「わたくしが小春に命を縮める薬を渡していました。堕胎薬や不妊薬。」
「え・・?春女さんが?」
「そうです、小春に頼まれました。朱夏を守るために子供ができては困るから。そうおっしゃって。正直その時は朱夏様を憎みました。しかしそれは小春が聖夜さんや朱夏様を愛しているからこそ。その意思をくんで姉に薬を持っていくことを決心したのです。」
春女さんは手拭いで涙を拭いた。
「朱夏様、わたくしをお恨みください。小春を殺したのはわたくしです。」
春女さんがこうべを垂れると父上がその手を握る。
「違う。私のせいだ。私は小春と朱夏を助けに行くことを一度あきらめたんだ。いや、朝陽と婚姻したなら、私が行っても邪魔なだけではないかともおもった。」
精神的な支えをお互いに必要としていたんだ。2人を見ていて腑に落ちないが理解はできた。
しかしすぐあとに父上が続けた言葉に俺は意表を突かれ声を上げた。
「白酒の毒は自分の好きな人間について感知できなくなる。解毒しないまま皆本に帰っても小春や朱夏が見えないだろうと思ったんだ。」
「なんですって!?」
春女さんの悲しみのこもった眼が、父上の後悔がこもった眼が、俺の激しい語気に反応する。
「白酒の花の毒は好きな人間が見えなくなるのですか?見たくないものが、嫌いなものが見えなくなるのではなくて?」
俺のこころから、いやな感情がながれでていくように、ももくもくと湯気をあげるおかゆが目の前に置かれた。
秋良が春女さんのもってきた粥を配り終える。
赤い木の実や動物の肉が所々に浮いていて、先ほどより色づいて黄色い。
「それは心の病の話だ。見たくないものが見えなくなり、聞きたくないものは聞こえなくなる。白酒の花の毒とはにているようでちがう。」
父上の言葉を反芻する。
では父上も母上も俺のことを嫌いじゃなかった。
真昼様が俺のことを好きっていうのも、嘘じゃないんだ。
父上は今でもいまいましいという風に説明を始めた。
「私は疱瘡病にかかり皆本の規定によって仙湖に沈められたことになっているが実際はちがう。本当は朝陽がわたしを白酒の花の中毒にして自由を奪い仙湖に沈められたのだ。わたしがあの井戸から這い上がったときも中毒だった。神経毒の影響は長期に渡り、累積性もある。私のように運よく死を免れても、一旦現れた障害は長期に渡って残存する。」
父上の言葉を俺の頭の中で咀嚼する。
「だから、10年も苦しんだ。真昼様も。」
「真昼も…?」
「そうなのです。真昼様は留学から帰ったとき毒を盛られ、俺のことがみれなくなったそうですが、自力で解毒したとおっしゃってました。」
「そんなこと出来るはずがない。」
父上は急に研究者然として頷いた。
「でも、本人がそうおっしゃってた。」
「…。」
父上は納得できない様子だったが朱夏の中で自分の納得できる答えがつながり、心が穏やかだった。
少ししんみりしてしまった空気を取り繕うように春女さんが目じりにたまった涙を拭いて匙を目の前に置く。
「さぁ、朱夏様、お粥がさめてしまうわ。胃がびっくりしてしまうからゆっくり召し上がってください。」
「いただこう」
秋良が目の前の粥をかき混ぜる。
まだ熱そうだ。
秋良をはじめ、父上も春女さんも手慣れた手つきで粥を口に運ぶ。
俺もおそるおそる口に運んだ。
「あちっ・・」
「おまえ本当に猫舌だな。俺の店に来た時も熱い熱いっていってたし。ほら、ふーふー」
秋良は面倒そうな顔をしながらもなぜか声色だけはうれしそうに口をとがらせる。
それを見て、なぜか胸がいっぱいになる。
「・・・父上、申し訳ございません。俺は、父上にも母上にも好かれていないのだと思っていました。白酒の毒は見たくないものを見えなくするのだと思い込んでいました。」
俺の独白を聞き皆、匙を置く。
「そうだったのか。さきほどからなぜか食い違っていると思っていた。私も小春も本当に朱夏を愛している。本当の子供であるとか、そんなことは微々たることだ。俺たちの子供だ。」
「春女さんもごめんなさい。にらんだりして。春女さんのほうが俺のこと憎らしいだろ。」
春女さんは俺をすっと見据えた。
「許さないわよ!」
ことさら強い口調でいわれる。当然だ。母上が体に悪い薬を飲まなければいけなかったのは、死期を早めたのは俺だから。
もっと叱責されることを覚悟して無意志に気目をつぶっていたが、春女から出た言葉は意外な言葉だった。
「これから春女と呼び捨てにしないと許さないわ!私たちは姉妹なのよ。テグル族では血のつながった兄弟姉妹は呼び捨てにするの。これからそう呼んでくれる?」
そっと開いた目の前ににっこり笑う春女さんがいた。
その言葉の重みは俺にはうれしすぎた。
「はる・・め?」
「そう。わたしも朱夏と呼ぶわ。さぁ、もう冷めているはずよ。」
そういって秋良から俺の匙奪い取ると、粥をすくい、俺の口元に持ってきた。
俺は素直に口に含む。
「甘い・・・」
木の実も米もとろりと崩れるほど牛の乳で煮てある。初めて食べる味なのに不思議とおいしかった。
「おいしい。」
俺は久しぶりに夢中で食べた。生きていることがうれしくてたまらなかった。
瞼に湯気がかかって涙が出そうだ。
「父上、俺はこれから父上ともいていいのですか。」
俺は震える声でつぶやいた。
「秋良や春女とも。」
秋良が大きな手で俺の頭をなでる。
春女さんも優しく笑って手を出す。
春女さんは俺を疎ましく思ってないのだろうか。
「小さい朱夏、私たちのかわいい妹。いつまでもここにいて。」
不安で震える手を秋良と春女が握る。二人から伝わる体温は母上とつないだ手を思い出すようだった。
「テグル族は流浪を禁じられかつて住んでいたルナカムイに住むよう命じられた。馬鹿な話さ。太古の昔、ルナカムイが恵み多い大江山の一部だったころの話を持ち出しやがって。麗星国の者が王都にするためにテグル族から奪い砂漠にした場所に今度は住めという。」
「ここに太古の昔、ご先祖様たちが住んでいたのか。」
「そうだ、美しく鬼神のごとき力を持っていたとされる、朱天童子様の末裔たちの暮らす場所だった。」
「だから、鬼の遊ぶ庭か。」
ルナカムイが草木生い茂る大江山の一部だったことは信じがたいかったが、秋良が適当な話をしているようにも見えなかった。
「それにしても、皆本はなぜ助けてくれなかったのだ?テグル族から薬草が手に入らなければ薬が作れないだろうに。」
秋良は言いにくそうに口をつぐんだ。
「皆本はテグル族からある要求を受けた。その要求を受け入れれば、秘密裏に今まで同様、薬の材料を取引すると。」
代わりにいままで黙っていた父上が険しい表情で口を開く。
「要求?」
俺が怪訝な顔をすると父上は
「神殿にとらわれたウサギをたすけて育ててほしいと。」
と続けた。
「俺と冬児様ですか?」
父上はうなずく。
「俺は薬材の代わり・・?本当に俺のことは何とも思ってなかったんだ。」
嫌われてるばかりではなく、薬材の代わりだと思われていたなんてバカにしている。
「ちがう!」
父上は俺の言葉に反応して強く否定する。
「よく聞け。何を考えてるか知らないが、あのころ・・・わたしと小春は結婚したばかり。小春は故郷のテグル族が襲撃を受け、妹や弟の安否もわからないまま暗い日々を過ごしていた。小春本人も出身がテグル族というだけで、麗星国からにらまれないよう皆本から追い出そうとする勢力も存在した。しかし、私にはどうしようもなかった。皆本の外に知り合いはおらず、研究ばかりしていて外交をどうしていいかわからなかったのだ。」
父上は素晴らしい聖者だったと聞き及んでいた。
新薬を開発し、臣下をまとめ皆本を率いていたと。
しかし目の前にいるのは麗星国に屈し、皆本の重臣たちから妻の身も守れないほど非常に弱弱しい一人の男だった。父上は聖者の仮面を被っていたのだ。
「どうにかしてやりたいと思っていたときテグル族から申し出があったのだ。私たちは喜んで引き受けた。小春がいるからこそ薬材を取引できるということなら、小春の皆本での立場も守れる。テグル族というそれに要求がほかならぬ、お前と冬児を育てることだったから。」
どういう意味か分からずに怪訝な顔をしているのを察したのだろう。父上は続ける。
「朱夏と冬児二人は小春の妹と弟なんだ。」
「・・・え!?」
「そうなんです。」
春女さんが人数分の粥を器に入れて木の板に乗せ、持ってきていった。
「私もここにいる秋良も小春の妹と弟。私たちは5人兄弟姉妹なんです。」
俺は秋良と春女さんを交互にみつめる。目を丸くするってこのことだ。
「ほんとに?」
「こんなときに嘘言ってどうする。俺たちは親を亡くした。お前たちを育てる術もないまま、お前たちは神殿に連れていかれた。小春しかいなかった。小春なら朱夏と冬児様の素性を隠して生かしておけると思ったし、聖夜さんも快く協力してくれた。俺たちは神殿に乗り込んで2人をみつけたが、2人は劣悪な状況で育てられ、2人とも疱瘡病を患っていた。冬児様の小さい体から筋肉が解け始めていた。助かりようもない自分は神殿に残り朱夏の盾になるといい、朱夏だけ連れ出すことに成功した。聖夜さんは冬児様にそのときもっていた疱瘡病の薬を手渡したんだ。きっとそのおかげで命を長らえた。」
秋良は自分の幼いころの無力さを思い出したように苦々しい顔になった。
「テグル族というだけで皆本での立場も危ういだろうに、これ以上迷惑をかけたくなかったが、小春は、頼ってくれてありがとうと言って、うれしそうに迎えに行ってくれた。小春も皆本に味方がほしかったんだろうとおもった。」
父上はつらそうにうなずいた。
「朱夏とテグル族の乳母を見つけて秘密裏に皆本に連れ帰った。乳母は碓氷の庶子に養子にしてもらった。それが貞女だ。」
たしかに乳母という名目で皆本に従事する場合、臣下の養子になる場合が多い。皆本の中で乳母が都合よく見つからない時が多いからだ。
「貞女もテグル族だったのか。俺は皆本の屋敷で育ったけど、テグル族が育ててくれてたんだな。母上は堕胎薬や不妊薬までのんで。母上は俺のことが嫌いだったのになぜ自分の命を削るような薬を飲んでたのだろう。」
母上のことを考えると胸が痛い。ふと、疑問が口をついていた。
「さっきから何をバカなことを。この世で本当の母親のように朱夏を愛したのは小春だ。」
父上は吐き捨てるように言った。
俺はその言葉を信用できない。
だって、実際俺のことが見えていなかったんだから。
何とも説明のつかないこの気持ちを押さえつけることもできなかったため、無意識ににらんでいたのだろう。春女さんは何も言わずただ黙って悔やんでいるように顔を背けた。
「わたくしなのです。」
話しながら急に片手で口を押えて泣き始める。
「わたくしが小春に命を縮める薬を渡していました。堕胎薬や不妊薬。」
「え・・?春女さんが?」
「そうです、小春に頼まれました。朱夏を守るために子供ができては困るから。そうおっしゃって。正直その時は朱夏様を憎みました。しかしそれは小春が聖夜さんや朱夏様を愛しているからこそ。その意思をくんで姉に薬を持っていくことを決心したのです。」
春女さんは手拭いで涙を拭いた。
「朱夏様、わたくしをお恨みください。小春を殺したのはわたくしです。」
春女さんがこうべを垂れると父上がその手を握る。
「違う。私のせいだ。私は小春と朱夏を助けに行くことを一度あきらめたんだ。いや、朝陽と婚姻したなら、私が行っても邪魔なだけではないかともおもった。」
精神的な支えをお互いに必要としていたんだ。2人を見ていて腑に落ちないが理解はできた。
しかしすぐあとに父上が続けた言葉に俺は意表を突かれ声を上げた。
「白酒の毒は自分の好きな人間について感知できなくなる。解毒しないまま皆本に帰っても小春や朱夏が見えないだろうと思ったんだ。」
「なんですって!?」
春女さんの悲しみのこもった眼が、父上の後悔がこもった眼が、俺の激しい語気に反応する。
「白酒の花の毒は好きな人間が見えなくなるのですか?見たくないものが、嫌いなものが見えなくなるのではなくて?」
俺のこころから、いやな感情がながれでていくように、ももくもくと湯気をあげるおかゆが目の前に置かれた。
秋良が春女さんのもってきた粥を配り終える。
赤い木の実や動物の肉が所々に浮いていて、先ほどより色づいて黄色い。
「それは心の病の話だ。見たくないものが見えなくなり、聞きたくないものは聞こえなくなる。白酒の花の毒とはにているようでちがう。」
父上の言葉を反芻する。
では父上も母上も俺のことを嫌いじゃなかった。
真昼様が俺のことを好きっていうのも、嘘じゃないんだ。
父上は今でもいまいましいという風に説明を始めた。
「私は疱瘡病にかかり皆本の規定によって仙湖に沈められたことになっているが実際はちがう。本当は朝陽がわたしを白酒の花の中毒にして自由を奪い仙湖に沈められたのだ。わたしがあの井戸から這い上がったときも中毒だった。神経毒の影響は長期に渡り、累積性もある。私のように運よく死を免れても、一旦現れた障害は長期に渡って残存する。」
父上の言葉を俺の頭の中で咀嚼する。
「だから、10年も苦しんだ。真昼様も。」
「真昼も…?」
「そうなのです。真昼様は留学から帰ったとき毒を盛られ、俺のことがみれなくなったそうですが、自力で解毒したとおっしゃってました。」
「そんなこと出来るはずがない。」
父上は急に研究者然として頷いた。
「でも、本人がそうおっしゃってた。」
「…。」
父上は納得できない様子だったが朱夏の中で自分の納得できる答えがつながり、心が穏やかだった。
少ししんみりしてしまった空気を取り繕うように春女さんが目じりにたまった涙を拭いて匙を目の前に置く。
「さぁ、朱夏様、お粥がさめてしまうわ。胃がびっくりしてしまうからゆっくり召し上がってください。」
「いただこう」
秋良が目の前の粥をかき混ぜる。
まだ熱そうだ。
秋良をはじめ、父上も春女さんも手慣れた手つきで粥を口に運ぶ。
俺もおそるおそる口に運んだ。
「あちっ・・」
「おまえ本当に猫舌だな。俺の店に来た時も熱い熱いっていってたし。ほら、ふーふー」
秋良は面倒そうな顔をしながらもなぜか声色だけはうれしそうに口をとがらせる。
それを見て、なぜか胸がいっぱいになる。
「・・・父上、申し訳ございません。俺は、父上にも母上にも好かれていないのだと思っていました。白酒の毒は見たくないものを見えなくするのだと思い込んでいました。」
俺の独白を聞き皆、匙を置く。
「そうだったのか。さきほどからなぜか食い違っていると思っていた。私も小春も本当に朱夏を愛している。本当の子供であるとか、そんなことは微々たることだ。俺たちの子供だ。」
「春女さんもごめんなさい。にらんだりして。春女さんのほうが俺のこと憎らしいだろ。」
春女さんは俺をすっと見据えた。
「許さないわよ!」
ことさら強い口調でいわれる。当然だ。母上が体に悪い薬を飲まなければいけなかったのは、死期を早めたのは俺だから。
もっと叱責されることを覚悟して無意志に気目をつぶっていたが、春女から出た言葉は意外な言葉だった。
「これから春女と呼び捨てにしないと許さないわ!私たちは姉妹なのよ。テグル族では血のつながった兄弟姉妹は呼び捨てにするの。これからそう呼んでくれる?」
そっと開いた目の前ににっこり笑う春女さんがいた。
その言葉の重みは俺にはうれしすぎた。
「はる・・め?」
「そう。わたしも朱夏と呼ぶわ。さぁ、もう冷めているはずよ。」
そういって秋良から俺の匙奪い取ると、粥をすくい、俺の口元に持ってきた。
俺は素直に口に含む。
「甘い・・・」
木の実も米もとろりと崩れるほど牛の乳で煮てある。初めて食べる味なのに不思議とおいしかった。
「おいしい。」
俺は久しぶりに夢中で食べた。生きていることがうれしくてたまらなかった。
瞼に湯気がかかって涙が出そうだ。
「父上、俺はこれから父上ともいていいのですか。」
俺は震える声でつぶやいた。
「秋良や春女とも。」
秋良が大きな手で俺の頭をなでる。
春女さんも優しく笑って手を出す。
春女さんは俺を疎ましく思ってないのだろうか。
「小さい朱夏、私たちのかわいい妹。いつまでもここにいて。」
不安で震える手を秋良と春女が握る。二人から伝わる体温は母上とつないだ手を思い出すようだった。
