私が目を覚ましたのはパオと呼ばれる簡易的な小屋の中に光が差し込んできたからだった。
パオはテグル族の可動式の家で、支柱の周りには炉端がつくられ、周囲は伝統的な模様の数枚の布で囲まれており、布の隙間から光が射し、どんな季節でもほっとするような温かさがある。
私は目覚めるたびに誰もいないことに傷つき目薬を差した。
なんで私は一人生き残ってしまったんだろう。
浅い眠りのこの時間帯にたまに考える。
二年前のあの日私は霊木にいた。
****
朝陽叔父上が放った追っ手は私の真下まで迫っていた。
割れた舌をチョロリ出して舌なめずりする気持ちの悪い男。目は血走って、息が上がっている。
霊木は生気を吸い取るといわれているのは本当のことだったらしく、上りながら爪の先が干からび、目が落ちくぼんできていていて妖怪のような容貌だ。
「お前か?朱夏は?目の色が違うようだが。」
木くずがささり手から血が出ていてもお構いなしで木を駆け上がる異様な興奮状態。
何かの薬を使っていることは一目瞭然だった。
「一思いに殺すのは惜しい。その体は女なんだろう?その体をたっぷり味わってから死んでもらおう。ひひひ。」
気持ちの悪い男だ。背筋に寒いものが走る。
「無礼者め!」
つぶやいたが武器も持っていない俺になすすべはない。
「高貴な方は言葉遣いも上品だ。」
そういって舌なめずりする。
あの男はどんどん近づいてくる。
死ぬことは怖くない。しかしあんな男に手籠めにされてから死ぬくらいなら・・・。
俺は深呼吸して目をつぶると、湖に身を投げた。
ちょうど満月で、仙湖に広がる珍しい水草である仙草が月明かりに照らされて銀色の卵を放出する幻想的な風景が広がっていた。着水まで風が頬をなでて懐かしい香りを運んでくる。
「なんてきれいなんだろう」
あの男が干からびながら、あっけにとられた様子で見降ろしているのが見え、安堵する。
「ざまーみろ。」
しかし、大きな音を立てて着水してすぐに何かの水流に巻き込まれる。
苦しい。
色んな映像が頭を駆けめぐる。
何が記憶で、何が現実なのか。
コレが走馬灯というんだろう。
渡辺綱兄上や頼哉兄上、登紀子姉上と議論をぶつけ合い、薬草を採取し、実験した日々は楽しかった。
生まれ変わってもまた俺は薬を作りたい。
できれば民のための薬を。
目をつぶると2人が打ち据えられる場面がよみがえる。
ごめんなさい。母上、貞女。
俺が朝陽叔父上を当主の座から引きずり降ろそうなどと思ったせいなのか。
真昼様。
王都のこれ以上ないほどの思い出もかすんでしまう。
大太刀を振り下ろしたのは本当にあなただったのか?
婚約した後、草原で口づけを交わした。
意を決して自分から口づけしたのに。
だますなんて酷い。
朝陽叔父上の手先だったの?
思考がぷつぷつと切れていく。
音のない音が俺の周囲をとりまく。
そのとき。
聖夜様の「民のための薬」はだれが作るのです?
朝陽様はつくってくれませんよ。
貞女のお小言が聞こえてきた。いつも無茶ばかり言う。
しかし、いつも正しかった。
そうだ、俺は「民のための薬を作る」。
朝陽叔父上と真昼様が手を組んでいようがどうでもいい。
生きなければ!
俺は必死でもがくが手足に草がからみつく。いつの間にか仙草が、意志を持っているかのように体中を覆い尽くしていた。もう、ダメだ。貞女、俺、苦しい。
私はいつの間にか気を失った。
どのくらいの時がすぎたのか。
本来なら死んでいるはずだった。
しかし、俺の思考はまだ生きている。
不思議におもって起きあがった。
俺はいつの間にかこのパオにいたのだった。
初めて起きあがったとき、手にあたたかさを感じ、みると何者かはわからないが、黒の頭巾を頭にかぶり、頭を垂れ眠っている者が手を握っている。その手を開くと私の手には仙草が握られていた。
不思議におもって手の平から仙草をつまみ上げる。
その時、
「よお、朱夏。起きたか。」
「あら、起きたのね」
パオに入ってくる影が2つある。逆行で顔が影になり見えないがひとりは聞き覚えのある声だった。
「ようこそ。われらのパオへ。歓迎する。」
その声は俺をまどろみから引き上げる作用があった。
「秋良!何でここに?」
朱天楼の店主、秋良だった。
「それはこっちのセリフだ。どうしてあの井戸からでてくるんだ?お前は6日前、真昼と皆本に帰ったはずだろう?」
「…」
俺は答えなかった。いや答えを持っていなかったから答えられなかったのだ。無言でいる俺をみて察したのであろう秋良の隣にいる女性が話しかけてきた。
「お久しぶりです。朱夏様。いえ、実際、はじめまして、かな。」
久しぶり?ということはどこかであったのか?
確かに私もどこかで見たことがあるような気がした。
「あ、朱天楼の前で民間薬屋をしていた?」
「…そうです。覚えていてもらえてうれしいわ。春女といいます。」
母上と貞女を足したような名前だ。
ふと、そんな思いが浮かぶ。
春女の瞳はスミレ色で母上によく似た人だと感じて俺の心は一瞬で悲しみ染まる。
母上と貞女が死んだのは夢じゃないのだ、と。
「朱夏様は3日前、この人がルナカムイの井戸でみつけたの。」
春女は俺の手を握っている黒衣の者に目線を落とす。
黒衣の者は頭巾の奥からすーすーと安らかな寝息を立てている。
秋良が間に乗り込んできて俺の目を開かせる。
「あぁ、目薬の作用は切れたようだな。あの時は紫だったが、なんて美しい朱色だ。」
感動したように俺を抱きすくめる。
「なんだ、いきなり。」
秋良を勢いよく振り払おうとしたが、朱夏の手を握るほかの人物の存在が気になった。
「なぁ、この人は?」
呟くのと秋良が腕をほどくのと殆ど同時に、黒衣の者はゆっくり顔をあげた。
「・・・しゅな?」
「父上!」
冬児様の洞窟から姿を消し見つからなかった父上が目の前にいる。そのときよりずいぶんやつれ、顔色が悪く見える。じっと見つめる双眸はいくらか落ちくぼんで見えた。
「俺の姿が見えるのですか?」
手を握り合いうなずき合う。
「そうだ。そうなんだ。冬児に聞いた。わたしはお前のことが見えなかったみたいだな。私は白酒の花の毒にやられていたんだ。朱夏が見えると言うことは解毒できたということだな。大きくなったな。」
「ち、父上」
俺は目の前の黒衣の父上を抱きしめた。
「お会いしたかった」
「やっと解毒出来たんだ。」
「え?解毒?。」
一体何のことか、わからないで呟くと秋良は嬉しそうに俺の肩を揺らす。
「白酒の花は毒薬でありながら解毒薬になることに気づいたんだ。聖夜さんは解毒薬を作って白酒の毒を解毒した。」
「そうだったのですね。」
俺が胸をなでおろす。
※※※
俺は寝床にすわり、3人は美しい織物の上に座っていた。
手を伸ばすとふんわりとした手触りで大きな木の模様がかかれている。
不思議そうに見えていると
「家内安全を願ってつくった敷物なんです。」
と春女さんがいう。
「朱夏、腹が減っているだろう。なにせ3日間たべてないんだ。つくるぜ。」
秋良はそういうと白いドロドロしたもの鍋にいれパオの端にあるコンロにかける。秋良は器用に火をつけている。
「なんだ、それ。」
俺が顔をしかめると春女は立ち上がり、父上と目配せして笑いあう。
「聖夜さんと同じ反応ね。」
「私も初めてみたときはびっくりしたが食べると意外と旨いんだ。」
春女は春女で近くの炉の鍋をいったんかき混ぜる。赤い木の実や薬草のようなものが数種類はいった乳白色の液体が入っている。それを小さなお茶碗に注ぎ俺と父上の前に出した。
俺が怪訝な顔をしていると
「テグルのお茶です。疲れがとれます。この薬草茶はうちの店でも売ってるんですよ。」
飲むとあまじょっぱい中に酸っぱさがある何とも言えない味だった。俺がしかめたような顔をすると父上がふっと笑う。
「慣れれば旨いんだ。俺は春女が入れてくれたものが一番好きだし、よく眠れる気がするよ。」
「なら良かった。」
父上が柔らかい表情を見せ、とても昨日今日の知り合いではないと感じた。
「父上と春女はどういう知り合いなのですか?」
聖夜と春女が言いづらそうに顔をまた見合わせる。
春女は長い黒髪を耳にかけ、恥ずかしそうに目を伏せる。
春女は果物を乾かしたものや干した肉をかいがいしく並べ「これは胃腸の調子をととのえて、この肉は体力を回復させます。秋良、お粥にこれも入れよう」と俺に説明しながら秋良のもとへといった。
春女さんが父上を単純に介抱しただけでなく、精神的な主柱として存在していたのだとわかり絶句する。
「父上・・なんで。」
どす黒い感情がせり上がる。
俺のことは見えなくなるほど嫌いだったくせに!
いや、俺のことは良い。どうせ、貰われっこだ。
それより母上の元にかえらず春女さんの所にいたなんて、どういう了見だ。
我々の様子を見て不穏に思ったのか、鍋を春女にまかせた秋良は、こほん、と咳ばらいを一つして、俺の言葉を遮り近づいてきた。
「早速、親子喧嘩か。もう14歳なら大人の事情ってもんを察しろよ。それより俺が面白い話をしてやろう。お前がテグル族の生き残りだということは冬児様から聞いたかな?」
喧嘩じゃないし!そう思って余計なことを言わないように唇をかみしめて、乱暴にうなずく。
「じゃあ、俺が知っている限り、テグル族の話をしてやる。」
秋良は一呼吸置いた。
「テグル族は砂漠の流浪の民だ。異国の物資を手に入れ、それらを麗星国で高値で売却して生活していた。テグル族は麗星国だけでなく皆本も客にしていた。めずらしい薬、薬草、薬をつくるための道具・・それらは高値で売れたらしい。テグル族から買った薬草を使って皆本は麗星国に薬を売る。百年かそこら、テグル族と皆本は持ちつ持たれつで生活していた。」
初めて聞く話だ。父上と春女さんとのことでイラついた心が心なしか落ち着いてくる。耳を傾ける。
パオの中はぐつぐつと煮えてきた鍋の中の音と秋良の声しかしない。なんだか獣の匂いが鼻につく。
「皆本とテグル族が結びつきを強固にするためテグル族から皆本への輿入れも頻繁にあった。最後に皆本家に輿入れしたのは、小春だ。」
秋良は薬草茶を自分のためにつぐ。
「母上が最後。」
俺が繰り返すと父上と秋良は感慨深そうにうなずき、話を続ける。
「小春が輿入れしたのは14歳の時で聖夜さんが麗星国の留学から帰ってきた時だった。」
秋良は茶をすすった。あんなもん、よく飲めるな。
「わたしの一目惚れだった。流浪していたテグル族が王都で踊っているのをみた。自由を愛するその女の子を屋敷に連れ帰った。」
父上は懐かしそうに語った。
母上は踊り子だったのか。そんな様子は屋敷でついぞ見たことが無く驚いた。
「このころ皆本とテグル族の関係は良好だった。関係が崩れたのはちょうど朱夏が生まれた時の事、麗星国は他国の薬の値段が下がったことを理由に皆本にも薬の値段を下げるように命令を下してきた。もちろん皆本もテグル族も承服しなかった。民のために薬の値段を下げるべきは当然なんだが、皆本もテグル族もまっとうな利益をもらっていると自負していた。あまりに不当だと、先に直訴したテグル族はあっという間に麗星国に滅ぼされ、ルナカムイに閉じ込められたんだ。」
パオはテグル族の可動式の家で、支柱の周りには炉端がつくられ、周囲は伝統的な模様の数枚の布で囲まれており、布の隙間から光が射し、どんな季節でもほっとするような温かさがある。
私は目覚めるたびに誰もいないことに傷つき目薬を差した。
なんで私は一人生き残ってしまったんだろう。
浅い眠りのこの時間帯にたまに考える。
二年前のあの日私は霊木にいた。
****
朝陽叔父上が放った追っ手は私の真下まで迫っていた。
割れた舌をチョロリ出して舌なめずりする気持ちの悪い男。目は血走って、息が上がっている。
霊木は生気を吸い取るといわれているのは本当のことだったらしく、上りながら爪の先が干からび、目が落ちくぼんできていていて妖怪のような容貌だ。
「お前か?朱夏は?目の色が違うようだが。」
木くずがささり手から血が出ていてもお構いなしで木を駆け上がる異様な興奮状態。
何かの薬を使っていることは一目瞭然だった。
「一思いに殺すのは惜しい。その体は女なんだろう?その体をたっぷり味わってから死んでもらおう。ひひひ。」
気持ちの悪い男だ。背筋に寒いものが走る。
「無礼者め!」
つぶやいたが武器も持っていない俺になすすべはない。
「高貴な方は言葉遣いも上品だ。」
そういって舌なめずりする。
あの男はどんどん近づいてくる。
死ぬことは怖くない。しかしあんな男に手籠めにされてから死ぬくらいなら・・・。
俺は深呼吸して目をつぶると、湖に身を投げた。
ちょうど満月で、仙湖に広がる珍しい水草である仙草が月明かりに照らされて銀色の卵を放出する幻想的な風景が広がっていた。着水まで風が頬をなでて懐かしい香りを運んでくる。
「なんてきれいなんだろう」
あの男が干からびながら、あっけにとられた様子で見降ろしているのが見え、安堵する。
「ざまーみろ。」
しかし、大きな音を立てて着水してすぐに何かの水流に巻き込まれる。
苦しい。
色んな映像が頭を駆けめぐる。
何が記憶で、何が現実なのか。
コレが走馬灯というんだろう。
渡辺綱兄上や頼哉兄上、登紀子姉上と議論をぶつけ合い、薬草を採取し、実験した日々は楽しかった。
生まれ変わってもまた俺は薬を作りたい。
できれば民のための薬を。
目をつぶると2人が打ち据えられる場面がよみがえる。
ごめんなさい。母上、貞女。
俺が朝陽叔父上を当主の座から引きずり降ろそうなどと思ったせいなのか。
真昼様。
王都のこれ以上ないほどの思い出もかすんでしまう。
大太刀を振り下ろしたのは本当にあなただったのか?
婚約した後、草原で口づけを交わした。
意を決して自分から口づけしたのに。
だますなんて酷い。
朝陽叔父上の手先だったの?
思考がぷつぷつと切れていく。
音のない音が俺の周囲をとりまく。
そのとき。
聖夜様の「民のための薬」はだれが作るのです?
朝陽様はつくってくれませんよ。
貞女のお小言が聞こえてきた。いつも無茶ばかり言う。
しかし、いつも正しかった。
そうだ、俺は「民のための薬を作る」。
朝陽叔父上と真昼様が手を組んでいようがどうでもいい。
生きなければ!
俺は必死でもがくが手足に草がからみつく。いつの間にか仙草が、意志を持っているかのように体中を覆い尽くしていた。もう、ダメだ。貞女、俺、苦しい。
私はいつの間にか気を失った。
どのくらいの時がすぎたのか。
本来なら死んでいるはずだった。
しかし、俺の思考はまだ生きている。
不思議におもって起きあがった。
俺はいつの間にかこのパオにいたのだった。
初めて起きあがったとき、手にあたたかさを感じ、みると何者かはわからないが、黒の頭巾を頭にかぶり、頭を垂れ眠っている者が手を握っている。その手を開くと私の手には仙草が握られていた。
不思議におもって手の平から仙草をつまみ上げる。
その時、
「よお、朱夏。起きたか。」
「あら、起きたのね」
パオに入ってくる影が2つある。逆行で顔が影になり見えないがひとりは聞き覚えのある声だった。
「ようこそ。われらのパオへ。歓迎する。」
その声は俺をまどろみから引き上げる作用があった。
「秋良!何でここに?」
朱天楼の店主、秋良だった。
「それはこっちのセリフだ。どうしてあの井戸からでてくるんだ?お前は6日前、真昼と皆本に帰ったはずだろう?」
「…」
俺は答えなかった。いや答えを持っていなかったから答えられなかったのだ。無言でいる俺をみて察したのであろう秋良の隣にいる女性が話しかけてきた。
「お久しぶりです。朱夏様。いえ、実際、はじめまして、かな。」
久しぶり?ということはどこかであったのか?
確かに私もどこかで見たことがあるような気がした。
「あ、朱天楼の前で民間薬屋をしていた?」
「…そうです。覚えていてもらえてうれしいわ。春女といいます。」
母上と貞女を足したような名前だ。
ふと、そんな思いが浮かぶ。
春女の瞳はスミレ色で母上によく似た人だと感じて俺の心は一瞬で悲しみ染まる。
母上と貞女が死んだのは夢じゃないのだ、と。
「朱夏様は3日前、この人がルナカムイの井戸でみつけたの。」
春女は俺の手を握っている黒衣の者に目線を落とす。
黒衣の者は頭巾の奥からすーすーと安らかな寝息を立てている。
秋良が間に乗り込んできて俺の目を開かせる。
「あぁ、目薬の作用は切れたようだな。あの時は紫だったが、なんて美しい朱色だ。」
感動したように俺を抱きすくめる。
「なんだ、いきなり。」
秋良を勢いよく振り払おうとしたが、朱夏の手を握るほかの人物の存在が気になった。
「なぁ、この人は?」
呟くのと秋良が腕をほどくのと殆ど同時に、黒衣の者はゆっくり顔をあげた。
「・・・しゅな?」
「父上!」
冬児様の洞窟から姿を消し見つからなかった父上が目の前にいる。そのときよりずいぶんやつれ、顔色が悪く見える。じっと見つめる双眸はいくらか落ちくぼんで見えた。
「俺の姿が見えるのですか?」
手を握り合いうなずき合う。
「そうだ。そうなんだ。冬児に聞いた。わたしはお前のことが見えなかったみたいだな。私は白酒の花の毒にやられていたんだ。朱夏が見えると言うことは解毒できたということだな。大きくなったな。」
「ち、父上」
俺は目の前の黒衣の父上を抱きしめた。
「お会いしたかった」
「やっと解毒出来たんだ。」
「え?解毒?。」
一体何のことか、わからないで呟くと秋良は嬉しそうに俺の肩を揺らす。
「白酒の花は毒薬でありながら解毒薬になることに気づいたんだ。聖夜さんは解毒薬を作って白酒の毒を解毒した。」
「そうだったのですね。」
俺が胸をなでおろす。
※※※
俺は寝床にすわり、3人は美しい織物の上に座っていた。
手を伸ばすとふんわりとした手触りで大きな木の模様がかかれている。
不思議そうに見えていると
「家内安全を願ってつくった敷物なんです。」
と春女さんがいう。
「朱夏、腹が減っているだろう。なにせ3日間たべてないんだ。つくるぜ。」
秋良はそういうと白いドロドロしたもの鍋にいれパオの端にあるコンロにかける。秋良は器用に火をつけている。
「なんだ、それ。」
俺が顔をしかめると春女は立ち上がり、父上と目配せして笑いあう。
「聖夜さんと同じ反応ね。」
「私も初めてみたときはびっくりしたが食べると意外と旨いんだ。」
春女は春女で近くの炉の鍋をいったんかき混ぜる。赤い木の実や薬草のようなものが数種類はいった乳白色の液体が入っている。それを小さなお茶碗に注ぎ俺と父上の前に出した。
俺が怪訝な顔をしていると
「テグルのお茶です。疲れがとれます。この薬草茶はうちの店でも売ってるんですよ。」
飲むとあまじょっぱい中に酸っぱさがある何とも言えない味だった。俺がしかめたような顔をすると父上がふっと笑う。
「慣れれば旨いんだ。俺は春女が入れてくれたものが一番好きだし、よく眠れる気がするよ。」
「なら良かった。」
父上が柔らかい表情を見せ、とても昨日今日の知り合いではないと感じた。
「父上と春女はどういう知り合いなのですか?」
聖夜と春女が言いづらそうに顔をまた見合わせる。
春女は長い黒髪を耳にかけ、恥ずかしそうに目を伏せる。
春女は果物を乾かしたものや干した肉をかいがいしく並べ「これは胃腸の調子をととのえて、この肉は体力を回復させます。秋良、お粥にこれも入れよう」と俺に説明しながら秋良のもとへといった。
春女さんが父上を単純に介抱しただけでなく、精神的な主柱として存在していたのだとわかり絶句する。
「父上・・なんで。」
どす黒い感情がせり上がる。
俺のことは見えなくなるほど嫌いだったくせに!
いや、俺のことは良い。どうせ、貰われっこだ。
それより母上の元にかえらず春女さんの所にいたなんて、どういう了見だ。
我々の様子を見て不穏に思ったのか、鍋を春女にまかせた秋良は、こほん、と咳ばらいを一つして、俺の言葉を遮り近づいてきた。
「早速、親子喧嘩か。もう14歳なら大人の事情ってもんを察しろよ。それより俺が面白い話をしてやろう。お前がテグル族の生き残りだということは冬児様から聞いたかな?」
喧嘩じゃないし!そう思って余計なことを言わないように唇をかみしめて、乱暴にうなずく。
「じゃあ、俺が知っている限り、テグル族の話をしてやる。」
秋良は一呼吸置いた。
「テグル族は砂漠の流浪の民だ。異国の物資を手に入れ、それらを麗星国で高値で売却して生活していた。テグル族は麗星国だけでなく皆本も客にしていた。めずらしい薬、薬草、薬をつくるための道具・・それらは高値で売れたらしい。テグル族から買った薬草を使って皆本は麗星国に薬を売る。百年かそこら、テグル族と皆本は持ちつ持たれつで生活していた。」
初めて聞く話だ。父上と春女さんとのことでイラついた心が心なしか落ち着いてくる。耳を傾ける。
パオの中はぐつぐつと煮えてきた鍋の中の音と秋良の声しかしない。なんだか獣の匂いが鼻につく。
「皆本とテグル族が結びつきを強固にするためテグル族から皆本への輿入れも頻繁にあった。最後に皆本家に輿入れしたのは、小春だ。」
秋良は薬草茶を自分のためにつぐ。
「母上が最後。」
俺が繰り返すと父上と秋良は感慨深そうにうなずき、話を続ける。
「小春が輿入れしたのは14歳の時で聖夜さんが麗星国の留学から帰ってきた時だった。」
秋良は茶をすすった。あんなもん、よく飲めるな。
「わたしの一目惚れだった。流浪していたテグル族が王都で踊っているのをみた。自由を愛するその女の子を屋敷に連れ帰った。」
父上は懐かしそうに語った。
母上は踊り子だったのか。そんな様子は屋敷でついぞ見たことが無く驚いた。
「このころ皆本とテグル族の関係は良好だった。関係が崩れたのはちょうど朱夏が生まれた時の事、麗星国は他国の薬の値段が下がったことを理由に皆本にも薬の値段を下げるように命令を下してきた。もちろん皆本もテグル族も承服しなかった。民のために薬の値段を下げるべきは当然なんだが、皆本もテグル族もまっとうな利益をもらっていると自負していた。あまりに不当だと、先に直訴したテグル族はあっという間に麗星国に滅ぼされ、ルナカムイに閉じ込められたんだ。」
