夕刻ごろ皆本の門がみえてきた。
強盗にも襲われず、無事に帰れてほっとするがあたりは暗く少し肌寒い。
途中、サルナシの実やハシバミの実を摘んで、秋良のくれた仙草餅をつまみ、休憩した。
薬草として使える銀熊草も背嚢に入れ、蜂の巣はまた折を見て二人で取りに来ようと約束をした。

「朱夏様、そろそろわたくしの外套に隠れてください」
そううながされて真昼様にぴったりとはりつくようにして外套に身を隠した。
朝は感じなかったがこんなにもくっついていいものだろうか。
そんなことを思っていると頭の上から声が聞こえる。
「おかしいな・・・。門番がいない。」
真昼様の背中からおなかに手を回してしっかり抱き着いていたため、真昼様の低い声が響くように聞こえた。
背中から少し顔を出して、外套をめくると、たしかに、夕刻で薄暗いのに門に灯もともっていない。
「どうしたのでしょうか?」
俺たちは馬を降り門のそばまで行くが人の気配もない。そっと扉を押すと簡単に開いた。
「俺が少し見てくる。」
「ダメです。」
真昼は山賊から身を守るための刀を腰から抜き取ると朱夏を背に扉を押し開けて中に入る。
朱夏は薄暗い闇の中、貞女が慌てた表情で扉に向かって走ってくるのが見えた。
「どうしたんだ、貞女。そんなに焦って。」
朱夏はそう言って真昼の後ろから意図もたやすく抜け出てしまう。
真昼は目を凝らすが誰だかもわからないし、まして表情などわからない。テグル族のたぐいまれなる身体能力を垣間見た気がしていた。
「しゅ、朱夏様・・・」
走ってきて息を切らしているのだろう。なんだか空気が漏れているようなしゃべり方だ。
俺はこのときそんなに恐ろしいことが起こるはずがないと思い込み、勘違いをしていた。
「そういえば」
朱夏は背嚢から白酒の花を取り出した。
ルナカムイでひろってきたものを貞女に差し出した。
少ししおれてはいたが特有の匂いがあたりに広がる。
貞女は疲れ切って倒れこむように無言で花の握られた俺の手を握った。
「みよ、白酒の花だ!きっと母上がお喜びになる・・」
いってから気づいた。なんだか貞女の様子がおかしい。
屋敷の様子がおかしいのと何か関係があるのだろうか。
「は、早く。早くお逃げください・・・」
貞女は俺の手から花をむしり取り、息も絶え絶えに伝えてくる。
小さな声の貞女が精一杯来た方向に振り返る。数人の足音が聞こえてきたことで何を伝えたいのかがわかったが、まだ頭が混乱している。
予想はしていたかもしれないが、そんなことが起こるなんてありえないと、俺はまだこの期に及んで思い込んでいた。
「どうした、何があったんだ!」
力が抜けていく貞女を必死に支えていると、走馬灯のように貞女との楽しかった日常が思い出される。
「罪人がいたぞ!うち殺しの刑から抜け出した大逆人だ!逃がすでない」
屋敷の下男たちが炎を揺らめかせてこちらに近づいてくる。
真昼様は山賊用の刀を男たちに向け、しかしこちらを見ていた。
「朱夏様はお逃げください。」
貞女はあっけにとられている俺を最後の力を振り絞るように強く押した。
俺は後ろに尻もちをつく。

最後に見た真昼様はこれから何が起こるかわかっているような、意を決したような顔だった。
凛として白酒の花を握りしめる貞女が、どこからこんな力が湧いてくるのかと思うほどの力で俺だけを門の外に追いやり、中から閂をかけた。
「だめだ、貞女。だめだ。真昼様、真昼様!」
俺は門を力強く打つが貞女はきいてくれない。屋敷の内側で真昼様に何か言っているようだが、頭が混乱してうまく聞き取れない。その間も門をたたいていると
「静かにしてください、朱夏姉様」
そっと、でも厳しく。
「朱夏様より先に死ぬ前の不忠をお許しください。私は朱夏様を本当の娘のように思って・・・。」
いつも自分を律している貞女が泣き言葉が乱れている。
「やめてくれ。」
心の底から叫ぶ。
「朱夏様、生き残るのです。わたくしの命ぐらい差し出さねば・・」
「だめだ、貞女。だめだ。」
「逃げるのです・・」
「貞女、追手が来る・・・」
真昼様がそう言ったあと門の後ろ側から下男たちが貞女や真昼様をとらえる音が聞こえる。貞女は嗚咽を吐きながら縄をまかれているようだった。
口を食いしばり泣き声が漏れぬよう必死だった。
貞女は母屋のほうに連れていかれたようだ。
俺は塀の外側をいったん離れた。
走って走って
森から母屋をのぞける木・・・仙湖の霊木にのぼり屋敷の様子に目を凝らした。
超人的な視力で屋敷の中庭がみえる。
下男2人が交互に木の棒で貞女を打っており、その様子を一門の当主や家人たちが見守っている。
どうやら母屋でそれを酒の肴に見物している朝陽叔父上が指示したに違いなかった。
なぜあの時無理やりにでも門の外に連れて出なかったのだろう。
あんなに打たれては命はもう助からないだろう。うめき声がかすかに聞こえた。
とめどなく涙があふれた。
貞女・・。どうして。貞女が何をしたというのだ。
「貞女は屋敷への持ち込みが禁忌である白酒の花をどこからか入手しておりました。白酒の花は不妊剤となります。朝陽様のご寵愛をうける小春様に不妊剤をつくって飲ませていたのです。厳しく罰してください。」
朝陽叔父上の近くにいた鮎がひざまずき勝ち誇った顔で進言しているのが聞こえてきた。
なぜ鮎が貞女を目の敵のにしなければならないんだ?
俺の素肌に触れたとき貞女に怒られたせいだろうか。
それに鮎の言っている白酒の花は俺が貞女に見せたものだ。
禁忌だったなんてしらなかった。
だから貞女は俺が罪にならないように俺からむしりとったということなんだろう。

だとしたら、全部俺のせいだ。
「罪人め。誰の命令で白酒の花持ち込んでいたのか?お前が不妊剤を作っていたのか、吐け。」
下男たちがまた貞女を激しく木の棒でたたいて拷問する。
貞女はもううめき声すら出さず、動きを止めた。下男たちは質問の答えなど聞く気はないのだ。
ただ、殺したいだけ・・。そんな人間と屋敷内で同じ空気を吸っていたのかと思うと吐き気がする。

しかしなにより吐き気がするのは、貞女が責めを負っているのは全部自分のせいだということだった。
屋敷から遠く離れた霊木の上ではなすすべがない。

しばらく何も考えられず、貞女が筵にくるまれ下男たちに足蹴にされて庭の片隅にごみのように打ち捨てられたのをみていた。鮎は満足そうに今まで母上が座っていた朝陽叔父上の横に座る。
真昼様や姿が見えない母上はどうなってしまわれたのだろう。
殺されたり傷つけられたりしていないだろうか。

心の中が不安でいっぱいになっていると、下男たちは白い下着だけをつけた女性を連朝陽叔父上の前に連れ出す。
地面にはいつくばっているものの命乞いもしておらずただまっすぐに朝陽叔父上を見つめる菫色の瞳。
あれは母上ではないか!
心臓が締め付けられるような苦しさを感じる。
俺は何かの見間違いだと、何度も目を凝らしたが母上が下男に足蹴にされている。
目の前の光景が信じられない。
母上は特に抵抗することもうめき声をあげることもない。
なぜ?朝陽叔父上があんなにも溺愛していたというのに。
今や朝陽叔父上は冷たい目で母上を見下ろしていった。
「貞女に白酒の花を密輸させ、不妊剤と知っていて服用していた罪は重い。俺の子を作らなかったのは最大の不忠である。このテグルの女は棒たたきの刑に処す。」
下男たちは「御意」と短く言って最後まで気丈に表情一つかえず座っていた母上をむしろにくるむと長い棒でたたきはじめる。

筵にくるんだ母上が動かなくなっても下男たちはたたくのをやめなかった。
「やめて。母上。俺を一人にしないで。」
思わず声が漏れる。
母上じゃない。だけど俺の母上はあの人ひとり。
自分を犠牲にして俺をこの年になるまで生かしてくれたのも。
涙が止まらない。森の静けさの中に嗚咽が漏れる。
「おねがい、神様。助けてください。神様。」
私の願いはむなしく母屋から鮎が男つれてやってくる。
信じられない光景だった。
鮎がその腕に絡みついているのは真昼様である。
自分の嫌な想像が現実となって目の前に現れるとは。
しかも、真昼様は息も絶え絶えの母上と貞女を大刀で一突きした。

母上を助けるといったのはうそだったのか・・・
真昼様は朝陽伯父上の手先?

「朱夏様は私の初恋で、何とも思っていない女性と婚姻なんてできないと。」

あの言葉も?

体がきしむほど深く抱きしめたことも?

「好きです。自分でもあきれるほど。私に口づけをしてこんなに手を震わせているあなたに私は生涯恋をする。

そう耳元でつぶやいた時の切ない表情も?
全部、朝陽叔父上に指示でもされていた?

信じたくない。
しかし実際、朝陽叔父上に従って母上と貞女を刀で切ったのはほかでもない真昼様だ。

涙が後からこぼれる。
全部策略だったんだ。

****
霊木の上で悪夢を見ているようだった。
真昼様に一突きされ動かなくなった母上も貞女も首に縄をかけられ中庭の大きな木につりさげられた。
みせしめだ。

朝陽叔父上は人ではない。
しかしもっと許せないのは真昼様だ。
俺は木の上でぎゅっと目をつぶり、上を見上げた。
涙はふいてもふいてもあふれて止まらない。
なんで真昼様の甘い戯言を信じてしまったのだろう。
白酒の花の毒は嫌悪する人間が見えなくなる。
そんな確たる証拠があるのに。
言葉なんていくらでも吐ける。
男は目をつぶればどんな女子をも抱きしめることができるということだろう。
鮎に腕をとられていたのがいい証拠だ。
王都で鮎を見かけただけであんなに動揺していたのも、鮎とああいう関係だったからだ。
鮎に俺と一緒にいるところを見られれば鮎を気づつけることになる。

あの冷たい瞳で目的のために俺に甘い言葉をささやいた。
あのまま貞女が私を屋敷の外に出さなかったら、俺もきっと利用され殺されていただろう。

いや、先ほど朝陽叔父上が「朱夏をさがせ」と猟犬のような目つきの下男たちに命令していたため俺も早々に見つかるだろう。
今更命など惜しくもない。
何もかもなくしてしまった。
真昼様の策略によって真昼様を好きになり、知らなかったとはいえ白酒の花を持って帰ったが故、母上も貞女も殺された。

家も家族も家族のように慕っていた人も・・・俺が初めて好きになった人も。
すべてをなくして人は生きられない。
「いたぞ!朱夏だ!大逆人を捕まえろ!」
下男たちの声が聞こえる。
朱夏は覚悟を決めて霊木にたたずみ目をつぶった。