少し長くなった話しのせいで、湯気を立てていた肉そばは少しさめて伸び始めていた。
「朱夏様をお守りできるなら私は当主にでも道化にでもなります。朱夏様が居場所がほしいとおっしゃるなら、私が皆本の当主となり、あなたの居場所になる。」

朱夏様は古い婚約証明書を握りしめて、うん、うんとうなずいていた。
その目じりには涙が浮かんでいた。
「初めて知ることばかりだ。そんな昔からみんなで私を親族同然に守ってくれていたのだな。ありがとう。真昼様が当主になることは三聖人も理解してくれるだろう。」
本当にわかっているのか?親族同然?とんでもない。
私は朱夏様を女性として愛しているのに。
朱夏様が握っていた婚約証明書を折りたたみ、懐疑的になりつつまた懐に大切にしまう。ついでに手ぬぐいも取り出して朱夏様の目元を拭いた。
「さあ、のびきらないうちに食べましょう。」
「はい!」
二人でかき込むようにたべて会計のためにまた秋良のところにいく。
「朱夏、泣いた後があるな。早速夫婦げんかか!?」
秋良は朱夏様の目尻を親指でそっとなでた。
「ちがう、そして、朱夏様に気軽にさわるな。」
また、氷のような眼差しを向けるわたしを「まぁまぁ」と朱夏様は、なだめてくれる。
あぁ、この人と夫婦になったんだ。
「朱夏、真昼をたたき切りたいときは俺に連絡してくれ。王都をうろついているか、この店にいるから。」
「夫婦喧嘩などするものか。」
そういって代金を渡そうとすると、秋良はめくばせする。
「ここは俺のおごりだ。」
「へぇ、婚約祝いをくれるのか?」
「そんなにケチじゃねぇ。式はあげるだろう?本家になにか贈ってやる。」
「ありがとう。ではまた。」
挨拶して店を出ると見知った顔が視界に入る。
「あれは占部鮎?」
朱夏様と同年代で研究部に配属された占部の者。
成績はふるっていなかったが朝陽兄上が研究部への配属を推したと聞く。
占部家は俺の極秘任務にかかわってくる胡散臭い家門。
油断ならない。
「あれは占部鮎?」
つぶやいたその横顔は凛々しかった。
気になる女の子を見つけたとでもいうような、目つきだった。
ふいに自分の心がずきんと痛む。
なんだ、この痛み。
なんで、こんなにも苦しい?
わからないフリをするな。
自分の気持ちを無視できないことはさっきわかったはずだった。
胸がこんなに苦しいのは真昼様が他の女の子を追っているからだ。
真昼様は誰かにぶつからずに10歩も歩けないような往来のなか鮎だけを見つめていた。その目が切ない。
先ほど想像したように真昼様か鮎や鮎が生んだ子供と歩く場面が生々しく想像される。結構つらくなる。
真昼様はしばらく砂ぼこりの中に消えた鮎を見ていたが、俺の元に返って来るなり驚いたように背をかがめた。
「どうしたのです?」
「不安になったのです。ほかの女性に声をかけていたので。」
不安のあまり真昼様の着物のすそをぎゅっとつかむ。
真昼様は着物の裾にある私の手をぎゅっと力強く包み込んだ。
「あの者の挙動を伺っていただけです。」
そんなに優しくされたら止まらなくなる。
俺はこのまま真昼様を好きになっていいんですか?
視線と視線が絡み合う。
何かいいたいのにいざ言葉にしようと思うと何も出てこない。
ちょうどその時
「おーい、真昼、朱夏」
秋良が店からでてくる。お互いそちらに顔を向けた。
「これは真昼に、こっちは朱夏に。」
俺の手にそっと乗せられたのは薄紙に包まれまだ少し暖かい焼き菓子だった。
「これ!?」
「そうさ、真昼が初恋の君に贈り物をするというから、此処へ寄るたびいつも作っていたんだ。お口に合ってたかな?」
自信満々に渡された包みから暖かさを感じる。
真昼様からの思いが伝わってくるようで、うれしくて見上げると太陽みたいに笑っている秋良がいた。
「真昼には仙草の入った餅だ。道中二人で食えよ。」
秋良はそういって真昼様の肩をたたき、俺を引き寄せ、抱きしめ別れの挨拶をする。

真昼様は慌てたように俺の腕を引っ張り俺を馬に乗せた。
急にいったい何?
真昼様がパンパンの背嚢を馬にくくりつけているあいだ、秋良と真昼様の間にはなぜか気まずい沈黙が流れる。
秋良はその背嚢に手をかける。
「まだおまえは夢見てるのか。皆本は沈みゆく船だ。早く逃げろ。」
「わたしは往生際が悪くてな。それに皆本を沈ませるわけにいかない。協力には感謝する。」
真昼様も馬にまたがると
「じゃあな、秋良」
と手をあげ、あっけなく分かれていった。
一体何の話をしていたんだろう。
秋良が砂ぼこりに隠れるまで私は振り返りながらたくさん手を振る。
「朱夏様おやめください。秋良と知り合いであると広めるようなものです」
怒った顔で俺のほうをちらりと見やる。
「そんな、真昼様の友達だろ?俺も友達だ。何が悪い。なぜ怒っている?」
「我々は皆本の極秘任務を負っていることをお忘なく。」
「なんでそんなに急に?任務と友情ってそんなにきっぱり分けられるものか?」
いつまでも俺の質問には答えず喧騒を抜けたら馬を小走りに走らせ秋良から逃げるようにして王都を後にした。真昼様の目を盗んで振り返るいつの間にか秋良の姿は消えていた。
王都からしばらく行くと山に入る前の野原が広がっていた。
ずっと心の中がもやもやだ。
なんで話してくれないんだろう。
俺のことをずっと無視するように馬を進めているし、それについていくしかないしがない自分自身に腹が立つ。
なんだか心を開放したいし、野原が気持ちよく、我慢できずに走る馬の鞍に立ち上がり、両手を広げる。
「朱夏様、なにをしてらっしゃるんですか!?」
隣を走る真昼様はぎょっとしたのだろう、驚嘆の声をあげる。
「風をうけたいから。大丈夫。あぶなくはない。」
馬は走り、体全体に風を受ける。

真昼様の馬が速さを緩め、それに倣って俺の馬も早さを落とす。
速さを落としたとき、足元がふらついたついでに、真昼様の前にわざとすわり、馬の背にまたがって真昼様のもっていた手綱をいっしょににぎる。
馬が動揺したようだが、馬はそのまま進み続ける。
馬はもう歩いているといってもよいくらい速さを落としていた。
隣には先ほどまで乗っていた馬、ふりかえった後ろにはとまどっている真昼様がいた。
「・・・朱夏様!あぶないことは・・・!」
いさめようとした真昼様の唇をふさぐように唇を重ね合わせる。 
時が止まったように長い時間だった気がしたが、実際はほんの数秒といったところだろう。
「大丈夫といったではありませんか。あなたの婚約者を信頼してください。」
本当は心臓がばくばくと音を立てている。
馬は止まっているというのに
手綱を持つ手が震えていた。
口づけの効果はてきめんあったようで、真昼様はただ、今さっきまで口づけしていた自分の唇に手をやる。
「あ、はい。」
何が起こったのかわかっていないような、子供のような澄んだ瞳になってこちらを見ていてなんてかわいらしいんだろうと見つめ返した。
先ほどのように視線が交錯するが先ほどのように思いを測りかねることはなかった。
「真昼様は・・」
「朱夏様は・・」
2人同時に声を発したものだからまた笑えてしまう。
「先にどうぞ。」
真昼様が顔を真っ赤にしながらいう。
「真昼様は留学もしているし、口づけの経験があるでしょうに?」
俺は体を無言の真昼様にあずける。
「俺は初めてでした。でも、今、真昼様と口づけしたくなったのです。」
真昼様は私の目じりにたまった涙を指ですくい、額に優しい口づけをし片手で腰を引き寄せ、もう片方の手は手を握り合う。
「私はあなたを守るために当主になる。そしてあなた以外は要らない。」
熱い吐息と共に吐き出される自分の名前が妙に色っぽく感じた。
「私はさみしく育ったせいか、独占欲が強いんです。さっきも嫉妬したんですから。」
「いつですか?」
「朱夏様が秋良の腕の中に素直に収まったことがいやで嫉妬した。任務のせいにして秋良から引きはがしました。」
「また嫌われたかと思いました。」
「いつ私が嫌ったと?」
「白酒の毒をのんだら嫌悪するものが見えなくなったり聞こえなくなったりするのでしょう?」

「あのときはきっと朱夏様が男の姿で驚いただけです。ただそれだけです。言ったではありませんか。朱夏様は私の初恋で、何とも思っていない女性と婚姻なんてできないと。」
真昼様は俺の体がきしむほど深く抱きしめる。
「好きです。自分でもあきれるほど。私に口づけをしてこんなに手を震わせているあなたに私は生涯恋をする。信じて。」
「・・・うれしい。」
「何がですか。」
「同じ気持であることが。最初は真昼様と婚姻すれば父上と母上を救えるとだけ考えていました。だけど今は違う。俺も・・・私もどんなことがあってもあなたに生涯恋をするでしょう。」
見つめあいそれだけ言い合うと、私たちはもう一度深く口づけをした。